菊野克紀が語る喧嘩論、MMA論、巌流島論! 「僕にとって巌流島はMMAだ!」
お題………「大反響!1・3巌流島・舞浜大会を振り返る!」
文◎菊野克紀(沖縄拳法空手)
2017年1月3日巌流島でのケビン・ソウザ選手との再戦は、僕にとっても周りにとっても大きな意味のあるものとなりました。
試合直前まで本当に怖かった。
2年前に為す術なくKOされたトラウマが鮮明に残っていた。
しっかり準備はしたけれど、実際に向き合ったら前回と同じようになるんじゃないかと不安だった。
でも試合直前までのビビリは受け入れた。
ビビるなという方が無理だ。
チーム菊野による稽古とメンタルコーチングのおかげで、試合が始まったら「今ココ」に集中出来た。
この2年間と高い授業料を払って学んだことは、僕の人生にとって大きな意味のあるものだと思う。
試合を観てくれた人が「勇気をもらった!」とか「年の初めにいいものを見た!」とか「今年一年頑張る力をもらった!」と言ってくれた。
まさに新年の巌流島だからこそ、伝えたかった想いを受け取ってもらえて嬉しかった。
一番嬉しかったのは「あんな人になりたい!」って言ってもらえたこと。
僕はヒーローになりたい!
僕にとってのヒーローは漫画に出てくるような、強くて優しくて困っている人を助けるかっこいい人のこと。
その人のヒーロー像とは違うかもしれないけど、少なくともその人にとってのヒーローになれたんだなというのが、とても嬉しかった。
「最初は反対だったけど、菊野選手が巌流島に出る理由が解った」という声もたくさん聞いた。巌流島の世界観や志を理解してもらえたんだと思う。
もちろんMMA至上主義の人からは「巌流島なんか出てないでMMAに出ろ!」と言われる。
先に言っておくが僕はMMAに育てられたしMMAを愛してる。
MMA至上主義の人と僕がズレを感じるのは「MMAとはなんぞや?」ということ。
MMAは競技で、競技はルール。
でもUFC、RIZIN 、DEEP、修斗、パンクラス、ZST、などなど
全部ルールが違う。
何を持ってMMAなのか?
大沢ケンジさんの記事で凄く納得した言葉があった。
「いろんな格闘技があるけれどケンカが強いのがMMA」
その通りだ。
だから僕は高校三年生の時にMMAをやると決めたんだ。
それが根底にあるから肘がアリ、ナシとか金網とかリングとか、正直細かいルールは気にしたくないんだ。
競技である以上勝敗はルールに左右されるのはしょうがないが。
基準は安全な範囲(継続可能な範囲)でルールは少ない方がいい。
でだ!
巌流島は〟ケンカの強さ〝を目指してるんだ。
だから押し出しがアリだし寝技が15秒なんだ。
壁、机、椅子、階段、車道、側溝など、環境の武器化が重要なケンカ(実戦)において押し出しは無視できない。
噛みつき、目つき、喉への攻撃、金的攻撃、引っ掻きなどがあるケンカにおいて相手と密着すること、組み技、寝技はリスクが高い。
ちなみに中学生の時に柔道部だった僕のケンカ必勝法は、首投げからの袈裟固めで押さえ込み、そのまま空いた手で殴りながら腕を極めるというものだった。ある気合いの入ったヤンキーと勝負した時に同じように首投げからの袈裟固めで押さえ込んだら、目に指を突っ込まれそうになるわ、金的をガッツリ掴まれるわで、僕は「汚ねえぞ!」って怒鳴ったら「関係ねえ!!」って。そりゃそうだ(苦笑)幸い目も金的も無事だったから良かったけど…。
下からの寝技は下がコンクリートなどの硬い地面だったらかなりリスクが高い。頭や顎をちょっと押されただけで深刻なダメージを負う。というか下がマットや畳や芝生などの柔らかい地面という方が特殊な状態だ。
ガチ甲冑合戦で距離が近くなったから、組みついて得意のサバ折りでテイクダウンをしたら、相手は倒されながら短刀を抜いていて刺された。相手が何を持っているか分からない場合は組むのはリスクが高過ぎる。
それらを考慮し、実戦的で、且つ安全で、そしてエンターテイメントとしてバランスをとったものが『巌流島ルール』だ。
そしてそのルールも柔軟に変化出来るのが巌流島だ。
ケンカが強いのがMMAなら、僕にとって巌流島はMMAだ。
ケンカが強くなりたくてMMAをやってるなら、現在のMMAルールの外にも意識を向けるべきだ。
当然MMAに限らず、ケンカが強くなりたくて武道や格闘技を始めた人も、その競技のルールの外にも意識を向けるべきだ。
MMAはケンカが強い!それは間違いない。
でもそこで思考停止したらそれまでだ。
野球選手みたいにMMAを純粋にスポーツとして楽しみたい人にとっては、上記のことは関係無い話。
強くなりたいなら思考を止めてはいけない。