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小見川選手がヌルヌル事件を払拭! 格闘技界の風向きが変わる予感!

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お題………大反響の56 巌流島・舞浜大会を振り返る!

文◎平直行(巌流島・審判長/総合武術家)

文◎平直行(巌流島・審判長/総合武術家)

 

興行というものは、全部の試合が良ければ良いというものではない。良い試合を沢山並べても良い興行かといえば、案外起伏のないただの興行になったりもする。いわゆる神興行を除けば、ただ良い試合が並んだ興行は案外普通の興行だったりする。神興行でさえ何度も続けば、普通の興行になったりもする。人は変化に富んだものに魅力を感じるようになっている。

だからプロレスは前座とメーンの試合を変える。総てが洗練された同じような試合だと、結局何もない平凡な流れの興行になってしまうから、プロレスは興行に起伏を加え、ゴツゴツした試合やコミカルな試合を興行にバランス良く配分する。メーンに至る興行の流れを作り、観客に起伏に富んだ流れを見せて、興行全体をセットで提示し、観客を満足させて帰す。

すべてがスピードボールだったらどんな名投手でも打たれる。さほど早くもない球速でも名投手になれるのがプロ野球。それは目をごまかすから可能になる。観客の目を良い意味でごまかすのが興行のセンス。良い興行とは観客を陶酔させるのかもしれない。ただ良い試合を並べるだけなら、お金さえ払えば出来る。プロレス的な予定調和のない格闘技で、それをやる巌流島は毎回面白い。これはセンスや頭脳だけでは無理で、何かの流れが巌流島に近寄って来てるのかもしれない。

なぜ桜庭のヌルヌル発言を信じなかったのか?

格闘技が大ブームで大晦日に興行を行っていた時代。民放3局が同時に格闘技を放送した時代があった。僕はそこにレフェリーとして参加していた。ある日、何かの流れが去ってゆくのを感じた。ある日とは秋山成勲選手vs桜庭和志選手の試合があった日、例のヌルヌル事件の日。その事件の時に僕は現場にいた。僕は初め桜庭選手の相手がオイルを塗っていたという発言を信じなかった。後に発言が本当だったと知り、僕は谷川さんに責任を取って辞めさせて貰いたいと言った。それだけ信じられない事件だったのだ。

一体全体なぜ僕が桜庭選手の発言を信じなかったかといえば、秋山選手の試合の前後の行動にある。秋山選手は柔道をやっている子どもたちと一緒に入場し、試合で勝った後に子どもたちの前で喜んで手を振った、子どもたちも大喜びだった。子どもたちの前で嘘をつくはずがない。そんな人が格闘技界のトップ選手であるはずなどない。僕はすぐにそう思ったのだ。そしてそれは甘かった。

それから格闘技団体の試合前のボディチェックが厳しくなった。中にはうちはこれだけ厳しくきちんとやっていると、これ見よがしに観客の前でやるような団体も出てきた。これは競技としての格闘技団体としては正しいのかも知れない。

でも僕はこんな事を思った。子どもが格闘技の試合を見に来てボディチェックを見る。生まれて始めて格闘技の会場にやって来て興奮して嬉しい子ども。ボディチェックは日常ではあまり見た事がないから疑問に思う。それで一緒に来た親とかに聞くのだ。「あれ何をしてるの?」って。それで答える。ズルをしないか調べるんだよ。子どもはきっとこう思うだろう。格闘技の試合をする人ってズルをするんだって。

格闘技はそんなズルの集まりではない。実際に相手と触れ合って格闘技の技を出し合う。普通のスポーツよりも危険で、その分だけ正々堂々としなければいけないのが格闘技のはず。信頼する選手を集めて正々堂々と勝負してもらい、観客にお金を頂いて観てもらう。それが興行なんだと思う。

人が出来ない事を出来るからこそプロ。どんなに勝ちたくとも、絶対に卑怯な事なんかやらない。これも日常を越えたプロの決意なんじゃないかと思う。その真逆の事件が、大晦日のテレビ放映で起きて日本中に流れた。その日、いやな予感がした。風向きが変わってしまうような気がした。もちろん直接の関係はないが、それからほどなくして格闘技ブームは終焉を迎えた。格闘技のルールの中で上手く勝とうとするだけの選手が、その頃から増えたような気もする。流れに乗ろうとする物が増えれば流れは澱み、やがて変わってしまうのかもしれない。

今回の小見川選手はただ勝とうとする選手とは全く違っていた。小見川選手は生き様を見せてくれる選手に化けた。自分よりも遥かに重い選手との試合は格闘技としては考えられない。卑怯なことをするどころか、あえて自分を追い込む。日常ではあり得ないほどのリスクをあえて自分に課して試合をする。

サムネ

しかも、その試合の前には自分が教える子供たちが、試合の懸賞金のプラカードをたくさん持って闘技場の周りを廻っていた。道場で教える大切な子ども達の前で、無様な負け方なんか出来ない。試合以外のプレッシャーも大きかったに違いがない。普通の人だったら押し潰されそうな緊張感。それを自ら望み、克服する選手。そういった選手には魅力が出てくる。

格闘技の技以外の目には見えない雰囲気が変わってくる。プロとは存在するだけで人目を惹き付けて初めて本当のプロと呼べる。試合前バックステージで子どもたちの点呼を取っている場所に僕もいた。小見川君って名前が呼ばれた気がする。もしかしたら自分の子どもも柔道をしていて、会場に来ていたのかもしれない。会場からもたくさんの子どもの声援が聞こえた。

試合は自分の持っている物を正々堂々と全部出したような素晴らしいものだった。プレッシャーを味方にしたような素晴らしい試合。プレッシャーに押し潰され、逃げ出したい事もあるのが日常。そんな人たちが格闘技の会場で見たいのはきっと試合だけじゃなく、決意や覚悟を決めた選手なのだ。

巌流島で相手の道衣を持って、柔道のように組んでそのまま相手のパンチをガードした選手を始めて見た。鮮やかに投げパウンドを極める。寝技の時間に制限がなければそのままストップした場面が続いた。最後は場外に巴投げ。落とされたジャイロ選手はダメージで闘技場に上がれなくなった。そこで勝利が決まった。

素晴らしい試合、勝ち方、そして闘い方だった。決して逃げずにズルイ事もせずに、自分が持っているものをきちんと出して鮮やかに勝った、あの試合はヌルヌル事件の真逆のような好試合。子どもたちに話して聞かせたくなるような試合。真逆の試合の後、流れが変わったような気がした。

56舞浜アンフィシアター大会のレポートはコチラ
『巌流島 WAY OF THE SAMURAI 2017 in MAIHAMA