「他のカポエィリスタにも参加してもらいたい」 格闘技の革命の場・手合わせ稽古会
お題………第2回巌流島・手合わせ稽古会の感想
大和剛柔流尚誠館の大島と申します。
「子供たちがしたくなるような、保護者がさせたくなる武道、武術、格闘技を」という菊野さんの言葉にいつも胸を打たれます。格闘技や武術の試合イベントはメディアによって、ある表面ばかりがフィーチャーされてきました。大男による倒しあい。怪我もするし、血も流します。格闘技者、武術家にとってみては平気とは言わないまでもある種、見慣れた光景です。
しかし、当然ながら顔をしかめる人もいます。理解を得られないこともあります。格闘技を「暴力」と呼んだ有名人も居ました。「野蛮」と揶揄した地方議員も居ました。それは「人を傷つけたい者が格闘技をしているのだ」という前提の上に生まれた誤解だと僕は思います。
僕たちは別に危害を加えたくて武術や格闘技をしているのではありません。護身術として、自己表現として、自己鍛練として武術を習っているのです。だから胸を張って「誤解です」と言えます。
さて、ここでひとつの疑問が浮かび上がります。その誤解を積極的に解こうとした人は居たでしょうか。ぼくは少なかったと思います。「格闘技は誤解を受けるものだから」と皆、必然のように思っていたものを、菊野さんは「子供が習いたくなる、保護者がさせたくなる」とおっしゃった。これは僕はある種の革命だと思いました。
子供や保護者の意識を変えるためには、何よりもまず僕たちが変わるしかないんです。武術、武道、格闘技とは気高い精神を持つものが自他を守るためにするもの。そして試合は自らを高め合うために行うもの。そう個々人が発信していく必要があると思いました。
僕は普段からだらしのない人間なので、日頃より襟を正して「武道を習っている方は立派だ」と言われるようになる必要がありますね。いやはや、考えただけで背筋がのびます(笑)。
第一回手合わせ稽古会の際には、首里手の動きをメインでやりました。遠間から刻み突きや追い突きで突っ込んでいくあの戦法です。加えて左右への重心移動による入り身、こちらを主に据えて動くものです。しかし、今度は僕が習うもうひとつの格闘技、カポエィラの技をメインに動きました。
巌流島ではマーカス・レロ・アウレリオ選手が得意とした片手を着いての後ろ廻し蹴り【メイアルーアプレザ】を狙って放つ、狙って放つ。当たることよりも避けられたことの方が重要で、どうして皆さんに避けられたか分析すると、いい勉強になりました。単発で出すのではなく、上手く駆け引きの中で出したり、虚をつく形で出す必要があると分かったのです。
ですから最終的にはジンガ(カポエィラのステップ)から空手の突き、伝統派のステップからメイアルーアプレザという、わけのわからない動きになりましたが「奇襲」というコンセプトにはマッチしているので「よし」とします。よしとしてください(笑)。未熟なことこの上ない蹴りで諸先輩カポエィリスタの皆さんに「なにしてんの」と言われかねませんが、どうかお許しください。
僕は自分の蹴りを巌流島という場で高めたかったのです。普段のジョゴ(組手)とは異なる間合いでの技の応酬は、蹴りを鍛えるために不可欠だったのです。そしてその成果はホーダやバチザードでお見せしたいと思います。
そして「ああ、俺も行ってみようかな」とより多くのカポエィリスタが思ってくれたら幸いです。 そういえば、第一回の手合わせ稽古会のときに蓮見選手とお話しさせていただいたご縁もあってFacebookで友達申請させてもらったんですね。
そうしたら第2回稽古会の際にすごく親しげに話してくれるようになりました。そういう繋がりが持てるととても嬉しい気持ちになりますね。「巌流島手合わせ稽古会」は、僕にとってはいろいろな方と知り合う機会の場であり、いろいろな方と組手させていただく場であり、技術交流の場であり、自分の技術を磨く場です。決して憎しみや苛立ちといったネガティブな感情をぶつける場ではありません。そしてそれが参加された皆さんからも流れていることが、気持ちいいのです。
互いを思いやる、尊重する、ということの素晴らしさを肌をもって感じます。 だから実は「次回も出たい! もっとやりたい!」という想いと「僕は申し込まないで、もっと他の人に素晴らしさを感じてほしい!」という矛盾した想いが自分の中を駆け巡っています。このジレンマは谷川さんが解決してくれると願っています(笑)。
2・10稽古会のレポートはコチラ⇒
『第2回 巌流島手合わせ稽古会』