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当初の目的を果たせない『INOKI BOM-BA-YE』。やっぱり「馬鹿になれ」を地でいくしかない!

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文◎ “Show”大谷泰顕

文◎ “Show”大谷泰顕

<前編からの続き>

Show、『INOKI BOM-BA-YE』をやらない?」

 前回、20226月の段階で、谷川貞治さんからそんな提案を受けたとの話を書いた。

 諸々あって、谷川さんが主催者として『INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国』(1228日、両国国技館)を開催する旨を公にしたのは、111日に公開された、アントニオ猪木のYouTubeチャンネル「最後の闘魂」になった。

 当然のことながらさまざまな疑念が噴出する。

「なぜ谷川貞治がプロデューサーなのか」

「内容はどんなものなのか」

「アントニオ猪木の名前に傷はつかないのか」

「猪木の死を商売にするな」……

 ともあれ、ひとつ間違えてほしくないことがある。

 少なくとも自分は、谷川さんが『INOKI BOM-BA-YE』をやりたいと言ってくれたことは、純粋に嬉しかったこと。なぜかといえば「アントニオ猪木」という株が存在するとしたら、客観的に言って、谷川さんからそれを聞いた5カ月以上前の段階では、言いたくないけど、株価は底値だったと思う。その理由は、やはり体調不良による露出の激減が大きい。

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 自分の知っているアントニオ猪木は、常に打ち上げ花火を打ち続け、打ち上げた花火に見合う夢を実現すべく、動き続けていた。たとえそれが実現しようとしまいと、常に動き続け、話題を提供しまくる。その熱に周囲は振り回されながらも、気づくとなぜか不特定多数の誰かが勝手に引き込まれ、最終的には世間を巻き込んで、これ以上ない大きな渦になっていく。それがアントニオ猪木だったと思う。

 また、自分は20076月にアントニオ猪木が立ち上げたIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)に、それこそ現在、猪木元気工場を取り仕切る、高橋仁志社長の陣頭指揮の下、2015年まで深く関わらせてもらい、猪木さんと一緒に国内はもちろん、中国やパキスタン、北朝鮮にも行って、現地での大会をサポートさせてもらっていた。その段階では、猪木の株価は絶対に上向きだったとの自負を持っている。

 だからこそ一部でいわれている、「谷川が猪木の死を食い物にしている」かのような見方は完全に見当違い。谷川さんはアントニオ猪木の下がった株を上げていくことが格闘技界の明るい未来につながると思った。自分もそれに賛同したし、なにより、猪木さんに元気になってもらうことこそ、これからの格闘技界が、さらにはこれからの日本が元気になっていくことにつながると信じていた。

 ズバリいえば、あの段階で、株価の下がりまくったアントニオ猪木で商売をしようなんて考える人は、いたかもしれないけど、少なかった。あの段階でできる範囲には限りがあったから。だから、そこだけは絶対に間違えてほしくはない。

 要は、高値のついた「アントニオ猪木」を使って商売をしようとしたのではなく、底値の株をどう上げながら商売をしていくか。そこに着目した谷川さんの目の付け所は、やっぱりさすがだと思う。自分が関われば、株価を引き上げることができると確信していたわけだから。

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 しかし、自分の下がった株価を許せないと思っていた人が一人いた。他ならぬアントニオ猪木本人だった。だから猪木さんは、自らの生死をかけて、最後に爆発的に株価を急上昇させ、そして旅立ってしまった。

 そこは最大の誤算だった。自分にとっては人生最大の誤算といっていいかもしれない。

 だって本音を話すと、『INOKI BOM-BA-YE』の対戦カードなんてどうでもよかった。もうそんなことはどうでもよくて、どうしてもどうしても猪木さんに元気になってもらいたくて、車椅子のままでいいから、リングに上がった猪木さんと一緒に「1、2、3、ダーッ!」をやりたかった。

 それができれば、絶対にアントニオ猪木は蘇る! そのためには、誰に何をいわれようとへっちゃら。自分はそう覚悟した。だってアントニオ猪木は常に人に見られる人生を歩んできた。だったら、その刺激や感覚を取り戻せば、絶対に活力がみなぎってくるに決まっている! 誰がなんといおうと、それは必要不可決なはずでだった。

 だからこそ、猪木さんがお亡くなりになったと知った時は、なぜこのタイミングなのか。文字通り天を仰ぎ、神様の悪戯に対して、これ以上ないほどの怒りを覚えた。

 なぜなら『INOKI BOM-BA-YE』の主役であるアントニオ猪木がもうこの世にいないのだ。だから少なくとも自分の目的は今後、一生果たせなくなってしまった。そんなことってあるのか……

 つまりこれ以降の『INOKI BOM-BA-YE』はアントニオ猪木という主役が不在のまま開催されていくことになる。その最初の『INOKI BOM-BA-YE』が、来る1228日に両国国技館で開催される。

 最後にひとつだけ。自分はこれからも時折、アントニオ猪木に関する原稿を書いていこうと思っている。それは、先日あった猪木さんの四十九日法要を終えることができたから。身勝手な物言いだけど、せめて自分は四十九日だけは越えたいと思っていた。そこまでは極力、アントニオ猪木と接した記憶や経験を公にすることは避けたかった。

 たしかに猪木さんが亡くなって以降、一気にニーズが上がったアントニオ猪木だからこそ、わずかばかりアントニオ猪木と接点を持たせていただいた自分ごときが、軽々にそれを論じてはいけない気がしていた。

 しかしながらこれ以降は、改めてその禁を自ら破ろうかと思っている。今後は、自分がアントニオ猪木から学んだもの、体感させてもらったこと。さらには導いていただいたこと。すべてを随時、公にしていくつもりでいる。

 それがアントニオ猪木と関わらせていただいた自分の、せめてもの恩返しだと思っているから。

 そして、あとひと月後に迫った『INOKI BOM-BA-YE』はこの後どうなっていくのか。そんなことは運営に関わっている自分ですらわからないけれど、いかにアントニオ猪木の世界観を表現していくか。そこに真っ向から挑戦し、それなりの結果を残すためにに心血を注いでいく所存でいる。

 そのために必要なのは、猪木さんの名言のひとつ「馬鹿になれ」。つまり、どこまで馬鹿になれるか。馬鹿になって何をするのか。考えたって答えは出ない。それこそ最後は「迷わず行けよ 行けばわかるさ」しかないと思っている。

 乞うご期待!

12.28両国のチケット情報はコチラ⇒ INOKI BOM-BA-YE×巌流島』