リアル・グラップラー刃牙が巌流島で復活 「思いもよらない素晴らしい時間」
お題………賛否両論! 全日本武術選手権。刃牙の世界は実現できるか?
モンゴルに出発する数時間前から巌流島での菊野選手とのエキシビジョンマッチに向けての日々が始まった。谷川さんからの電話がその時間にやって来た。あと一日いや数時間ずれていたら無かったかもしれない。モンゴルにはシュートボクシングの初興行のレフリーとして行った。モンゴルに行っている数日の間連絡がつかなければこの話は別の人にいったかもしれない。
夏から始まる面白く素晴らしい時間の始まりだった。思いも寄らないようなことが人生には起きる。それは時として想像を超えるような素晴らしい時間になったりする。刃牙は想像の世界。現実の世界では、時に想像を超えるような出来事があったりする。
人生には色々なことが起きる。人はそれを運命と呼んだりもする。色々な出来事は勝手にやってくるようでもあり、自分で選んでいるようでもある。本当のことは誰にも分らない。でも現実に人の人生には様々な出来事があり、その出来事の積み重ねが人生を彩る。
16年前僕はシュートボクシングで引退試合をした。2002年9月22日に僕は引退試合をした。その日から16年が過ぎた秋に僕はエキシビジョンマッチをやることにした。考え抜いた訳ではない。何となくの即決だった。総合格闘技の為に1度離れたシュートボクシングのリングを引退試合の場に選んだのも考え抜いた訳ではなく、何となくだった。何となくには、余計な考えを越えた本能的な選択が潜んでいたりすることがある。
僕は14歳で、テレビで見たプロレスに魅せられた。テレビを見た僕は1発でプロレスに魅了された。憧れは夢に変わり、19歳で上京してプロレスラーを目指した。10代の僕も考え抜いて行動した訳ではなかったのかもしれない。10代は夢と憧れにそって真っ直ぐに行動する。
上京した頃に旧UWFが旗揚げして、僕は格闘技のプロに方向転換した。旧UWFから始まった新しい格闘技の流れはやがて総合格闘技のプロを産み出し、K-1もその別流として産まれた。その総てに僕は関わっている。全て考えていない、思いも寄らない出来事だった。
14歳で憧れの道に足を踏み込んだ僕は、ずっとその流れにいる。全て思いも寄らない素晴らしい時間は、自分で選んだようで、自分で選ぶにはスケールが大き過ぎる素晴らしい時間。想像を超えた世界があることを僕は知っている。そして途中で武術という流れにも合流した。
谷川さんとの付き合いは古い。まだ駆け出しの記者だった頃から知っている。新しい格闘技の流れを報道した格闘技通信の駆け出し記者だった谷川さん。やがて格闘技は隆盛期となり、その頃谷川さんは格闘技通信の編集長を経てFEGの社長にまでなった。巌流島の旗揚げから僕は関わっている。全て思いも寄らない出来事だったりする。
プロの格闘家としてそこそこ有名になった時代。実家の仙台に帰って父親と飲んだ。その時に聞かせてもらった話を僕はきっと忘れない。
戦争があった時代。仙台にも空襲があった。父親はその頃、中学生。姉が2人と妹が1人。そして母親の5人家族。お父さんは、父親が小学生の頃に亡くなっていた。だから僕は父方の祖父と会ったことがない。その晩1人のお姉さんが結核にかかり亡くなった。ちょうど、仙台の町に空襲があった夜だったそうだ。
5人家族の中でたった一人の男だから、父親は必死で家族を守った。亡くなったお姉さんを一緒に運びながら、家族で爆弾が落ち続け燃え上がる仙台の町を逃げた。一体その時の思いはどんなだったんだろう。僕は格闘技で怖くなるとこの話を思い出す。そして何とかなるって安心する。
「いやーあの時は死ぬかと思ったよ」 。ビールから日本酒に変えて,
酔いがいい感じになった父親が笑顔で言った。「あの時みんなが逃げる反対に行ったんだ」 「何でだか分らない」 「すっとそっちに行ったんだ」 。少し遠くを見るように父親が言った。
遠くには亡くなったお姉さんがいたのかもしれない。「みんな川のほうに行った」。 「川のほうに行った人はみんな焼け死んだ」 「反対のほうに行ったから死ななかった」。 それだけ言うと父親はまたお酒をまた飲んだ。
「亡くなった姉ちゃんは結核だったから栄養が必要だった」。「戦争中は食料なんかなかった」。「だからみんなで何とかして食べ物を集めた」 。蛙とか雑草とか普通に美味しい食事だったらしい。犬も食べたらしい。猫は煮ると泡が出て臭くて食べられなかったって笑いながら言った。
「ある日姉ちゃんに呼ばれた」。父親はまた遠くを見るような感じで話を聞かせてくれた。「姉ちゃんが大福をくれたんだ」。家族の誰かが必死でどこかで手に入れた大福。家族全員で病気のお姉さんを守ろうとしていたんだろうな。見たことのない昔の景色、戦争の時代の仙台の景色が、お婆ちゃんと叔母さんが若かった頃の家族の景色がボンヤリと見えたような気がした。
「姉ちゃんが食べなってくれた」 「みんなに内緒で食べなってくれたんだ」。 その頃父親は中学生だったから、自分もいつもお腹を空かせていた。お姉さんはそれを知っていたから自分の命を守る大切な大福をくれた。とても優しいお姉さんだったんだろうな。
そのお姉さんの亡骸を大切に守りながら空襲を逃げた夜の話を、僕は初めて聞かせてもらった。僕は始めて父親に怒られた訳でもないのに泣いた。小さな頃は悪いことして叱られて泣いた。大人になって格闘技のプロになって何倍も強くなった僕は父親の言葉で泣いた。叱られた訳でもないのに。
人はいっぱい考える。考えた通りには人生は行かない。そして考えを越えた、何か不思議な導きのような力があることを僕は知っている。武術ではそれを『無想拳』と呼ぶ。
武術の術には、羅針盤のような意味合いもあるという。航海術とは、まさに羅針盤を駆使して景色の変わらない大海原を目的地に向かう術。どうやって進むのか? 風や波の影響で方向がずれても修正しながら目的地に向かい到着する。術にはこういった意味合いもあるらしい。
医術は症状疾患に対して治る道筋を照らし、その道筋にそった治療を行う。武術の術には武を完成させる羅針盤の意味合いもあるのだろう。
巌流島に備えていっぱい考えて練習をすることにした。いっぱい考える理由はただ1つ。考えを越えた何かの声を聞き、その流れに入るためだった。モンゴル興行でシーザー会長にお願いして、シーザージムに出稽古に行かせて頂く許可をもらった。帰国して考えながら練習を続けてると、色々な思いもよらない事が起きた。キックのチャンピオンや有名選手がスパーリングに協力してくれた。有名なボクシングジムのトレーナーもミット持ちをやってくれた。総てに感謝して僕は当日を迎えた。
巌流島の当日の朝とても体調が良かった。16年前に引退した理由は体が動かなくなったから。首は後を振り向けなくなって、腰も膝も痛い。体中が悲鳴をあげて、筋肉が縮んで骨がギシギシ言うような辛さが僕を毎日悩ませた。引退して休養しても良くならず、かえって酷くなった。有名なドクターやトレーナーにかかっても好転することはなかった。
引退して出会った新しい武術とのご縁が僕に新しい力をくれた。巌流島当日の僕の体は、引退試合の何倍も良くなっていた。この体調なら行けるな。僕は自信満々、会場に向けて出発した。
会場に着いてウォーミングアップで体を動かしてみる。現役のような感じで体が動く。自信はドンドン大きくなった。自分のやっている身体理論、武術の原理を引き出した21世紀に合わせた運動に自信を深めて嬉しくなった。
もうすぐエキシビジョンが始まる。ところが、その頃から雲行きが怪しくなった。16年ぶりなのだ。引退して復帰する選手でもブランクは大きく影響する。16年ぶりなんて聞いた事がない。そんなことを思うとますます雲行きが怪しくなっていった。
人生に起こることには全て意味がある。全てが思い通りにいく訳ではない。思い通りにいかない時に逃げないと、思いもよらない良い事があったりする。だから人生は面白い。
菊野選手とのエキシビジョンマッチは最後までどの位やるのかを決めなかった。技を決めて出し合ったら2人がやる意味がないから、決めなかった。会場のタイムテーブルには2人の名前の前にこう書いてあった。特別試合3分1ラウンドと。エキシビジョンマッチって書いてない(笑)。
谷川さんも「2人に任せるよ。目つきでも金的でも2人で決めてね」。そんなことを平気でしれっと言うのです。まったく相変わらずだ(笑)。こうなってくると僕は開き直る。考えてもしょうがないのだ。もう時間だ。絶対に逃げないで前に出よう。僕はそう決めた。
この日のテーマは3つ。1つ目は僕の体が戻ったことを教えてくれた先生に見せたい、そして生徒にも見せたいだった。柳生心眼流の師である島津兼治先生が会場に来てくれた。生徒たちも沢山来てくれた。
もう1つのテーマは、菊野選手に感謝する闘いを見せたいだった。だから僕は始めから前に出た。54歳でこれくらい動けるんだと見せたかったから。菊野選手に向かう僕を受け止めて欲しかったから。これが反対だと敬老の日にやってはいけないものになる(笑)。54歳の僕に菊野選手が襲い掛かる。これはいけない。だから僕は自分から最初から攻めて、お客さんを満足させるくらい動けるように1ヶ月鍛えぬいた。
菊野選手もそれに答えてくれた。むしろ答え過ぎくらいに(笑)。菊野選手の攻撃がどんどんやって来る。自分が殴られる音が動きながら自分で聞こえるんですよ。沢山試合をやってきたけど、こんなことは初めての経験でした。いやー、本当に痛かったです。でも楽しかったです。菊野選手本当にありがとう。
僕が前に出て、巌流島エースの菊野選手が綺麗にさばく。そして強烈な打撃を入れてくれる。顔面はそこそこで、でもだいぶ効きましたよ。いやいや相当効きました(笑)。お客さんは驚きながら喜んでくれたようで嬉しかったです。
>この日のもう1つのテーマは武術的な技を仕掛けて成功させることでした。結果は駄目でした。スパーリングでは上手くいくのですが。本番の緊張の中では出来なかったです。あらかじめ決めた技のやり取りを2人でやっても意味がない。これもこの日のテーマ。菊野選手も同意見でした。
だから大怪我しないくらいにガッチリやっちゃいましょう。暗黙の了解が2人で出来上がった訳です。実際にやってみると、武術の技を本当に使うために足りない部分が前よりも見えてきます。だから巌流島が終わった翌日から稽古をしています。あの感覚を忘れないうちにすぐにやる。これはシーザー会長が教えてくれたことです。
試合が終わってすぐに休むのはもったいない。試合で本当のことが分かるんだから。軽くでいいんだ。すぐに動いて感じてみるといい。休むのはその練習してからでもいいだろ。30年くらい前に教えてもらった大切な言葉です。
人生には色々なことが起きる。良いも悪いも色々ある。きっとそれが素晴らしい。思った通りに全部行ったら、多分すごくつまらない。
色々な道があり、全てはどこかに繋がっていく。繋がる場所への道は1つだけでは決してないのだろう。繋がる場所に行くには色々な景色が見える。険しい山道もあるし、穏やかな草原もある。その景色は決まっているようで、自分で変えることも出来るのかもしれない。変えているようで、実は始めから決まっているのかもしれない。
本当のことは分らない。人生の進む時に見える景色は味わったほうがいい。味わうために人は色々考えるのかもしれない。そして考え抜いた末には、思いも寄らない素晴らしい景色(人生)の味わい方を見つけるのかもしれない。武術の達人とは、そう言ったことにも長けた人物であるような気がする。戦さのない21世紀には、武術を通じて稽古して駆使して、生きる達人になるのも面白い。
9.17巌流島のレポートはコチラ⇒『全日本武術選手権 in MAIHAMA』