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【第1回】アントニオ猪木の“特許”異種格闘技戦は、プロレス&格闘技界をすべてシュートした

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文◎ターザン山本(元週刊プロレス編集長)

文◎ターザン山本(元週刊プロレス編集長)

日本の精神風土が異種格闘技を生んだ

アントニオ猪木は1976年2月6日、日本武道館でミュンヘン五輪、柔道重量級と無差別級を制した金メダリスト、ウィリエム・ルスカと初の異種格闘技戦に臨んだ。

この時、初めて耳にした言葉、「異種格闘技戦」は衝撃的だった。一体、誰がこんな言葉を考え出したのか? そこが不思議だ。ありえない。たしかにプロレスラー対柔道家の対決だからピッタリだ。

それにしてもだ。ジャイアント馬場は異種格闘技戦という言葉を聞いた時、何を思ったのだろうか? 「また、猪木が変なことをやらかすつもりだな……」ぐらいの反応か。おそらく世界中のプロレス団体、外国人レスラーもたぶん馬場と同じ感想を抱いたはずだ。

これが正直なところである。しかも格闘技世界一決定戦なのだ。世界一と付けるところがまた猪木陣営がやりそうなことである。プロレス界には団体ごとにチャンピオンがいる。じゃあ、彼らの立場はどうなるのか?

異種格闘技戦の前ではチャンピオンの存在は相対化されてしまう。これはもうマット界からするとルール違反に等しい。この瞬間、猪木はレスラーとして奇人・変人あつかいだ。

そうなるよな。いわゆる“危険な男”として扱われる。つまり、そのこと自体が猪木サイドが確信的にしでかしたことなのだ。最も身近なライバル、馬場への当てつけの意味もあった。

要するにプロレス内プロレス(村松友視)との差別化として、異種格闘技戦は生まれた。しかし現に猪木はプロレスラーなのだ。これって自己矛盾である。

猪木が異種格闘技戦しかしないのならわかる。しかし、普段はプロレスのリングに上がってプロレスの試合をしているのだ。時々、たまに異種格闘技戦をやる。

論理的にいうとこれも変な話だ。プロレスおよびプロレスラーの存在を世界に向けて見せつけるために、異種格闘技戦は絶対に必要だったという見方もできる。猪木というレスラーを考えたら、それはまさしく必然でもあったというしかない。

世の中、世間、社会に対して反発し続けてきた猪木。それはプロレスが八百長といわれ続けてきたことからくるコンプレックスと怨念だ。情念だ。

だから異種格闘技戦は猪木の特許である。誰も使えない。使ってはいけない。そこまでプロレスというジャンルが持っている否定的宿命をみんなは意識していないから。

いや、意識してもどうにもならないものと言ってスルーする。こちらの判断のほうが正常だ。ノーマルだ。猪木が異常なのだ。

アメリカ、メキシコ、ヨーロッパではプロレスは完全なエンタメ、大衆娯楽なのだ。彼らからすると「猪木は狂っている」としか言えない。異常者のレベルだ。

プロレスはプロレス。柔道は柔道。上田馬之助は異種格闘技戦について、「将棋と囲碁が対決するようなもんだぜ」と言った。間違っていない。その通りだ。

だが、ここで奇妙なことが起こる。日本のプロレスファンは異種格闘技戦を全面的にというか、諸手を挙げて支持したことだ。なぜか? 彼らもまた猪木同様に世間に対して劣等感を抱いていたからだ。

その怨み、うさを晴らすのが異種格闘技戦だと思い込んだ。そこで猪木が柔道のメダリストに勝てば、プロレスが柔道に勝ったことになる。世間に勝ったことになる。

そういう思考回路が働いた。面白いのは、プロレスファンは猪木が勝つものだと信じきっていたことだ。負けるなんてことは1パーセントもなかった。

この点については一つの答えしかない。日本的精神風土。その民族性に問題があるというしかない。プロレスはエンタメだという大前提があったとしても、その横に真剣勝負という理念をそえないと何も納得できない。認めない。ここだ。ここだよ。

猪木の代名詞となっている“闘魂”。これも日本人が好きな言葉の一つだ。闘う魂。アメプロ、アメリカのプロレスにそんなものは邪魔だ。必要ない。まったく求められていない。

エンタメはいつだってエンタメだ。ハイレベルにして完璧。文句なし。ブロードウェイやディズニーを見ればわかるだろ。WWEもまさしくそうだ。

そこをあえて猪木は闘魂とか異種格闘技戦という考えを持ち込んで、形而上的上位概念にしようとする。

異種格闘技戦は、現実的にはプロレスラーが強いことを証明するためだったが、それと同時に真剣勝負としての武道的側面を見せる。それもあった。

武道という日本人に稀有な精神的土壌がなかったら、異種格闘技戦は単なる見せ物か笑いものになっていた。

人生はいつだって他流試合なのだ

見せ物にするため、ジャイアント馬場はラジャ・ライオンと異種格闘技戦まがいのものをこれ見よがしにやった。完全に猪木に対する皮肉。しっぺ返しだ。馬場はある部分、知能犯だ。キラーババだ。

プロレスのリングなのに、プロレスの興行なのに、プロレスとは別物としておこなわれた猪木の異種格闘技戦。スキャンダラスなので猪木・ルスカ戦には朝刊紙も取材にやってきた。

一般メディアを巻き込むことに成功した猪木は、してやったりだったはず。心の中でさぞかし「ざまあみろ!」と思っていたのではないか。

異種格闘技戦は猪木自身が発案して始めたことではない。まわりからやらされてやったことである。こういう時、猪木は決してNOとは言わない。

常識のあるレスラーなら「そんなのできないよ。無理!」と「なぜそんなことをしなければならないの?」となる。断わるか拒否するかどっちかだ。柔道家と試合をするのは怖い。自信がない。そうなるよ。猪木は違った。迷わずやれよ、やればわかるさだ。

先のことはもともと何も考えない人だから。先のことを常に考えていたのが馬場。そこが猪木と馬場の決定的な違いだ。先のことを考えた馬場が先に亡くなった。そこから20年以上、猪木は生きた。

猪木は日本プロレスにいた時、同門対決はタブーなのに馬場との対決を迫った。挑戦を表明した。その日本プロレスを飛び出し、東京プロレスを旗揚げした。

失敗すると日本プロレスに復帰した。だが再び、日本プロレスを離脱し、新日本プロレスを設立。ここまでは自分の意志で動いた。そこから先のマッチメイクは他者のアイデア、企画である。全部それに乗った。マッチメイク、アイデアにも受け身を取った猪木。

猪木イズムの真骨頂は実はここにあるのだ。通常、猪木はプロレスの試合において徹底的に受け身を取ることに慣れている。相手の技を受けて、受けて、最後に逆転の必殺技で勝つ。

これは対戦レスラーの能力を2倍、3倍にして引き出す方法。やられて、やられて、やられまくるのだ。すると相手を光らすことができるというわけだ。

リングでは当たり前のことだが、異種格闘技戦という要請に対しても、受け身を取り続けて闘った。やらされ続けた異種格闘技戦。

そういう時、猪木はどんなケースでもそれを一つの作品にしてしまうのだ。これは誰にでもできる芸当ではない。試合を作品にするセンスはただ者ではない。異種格闘技戦ではボクサー、空手家、柔道家、キックボクサーとさまざまだ。

それなのに、それぞれ違った作品に仕上げてみせる。猪木というレスラーに不可能はない。猪木をクリエイターとして考えたら、明らかに多作家だ。

猪木のプロレス人生に大きな足跡を残した異種格闘技戦。残したというより、築き上げてきたといったほうが正しい。

プロレスの試合は日常的、チャンピオンマッチはその日常の中の非日常、そのさらにもう一つのあらたな非日常として、存在感を示した異種格闘技戦。

三刀流だな。異種格闘技戦は相手と向き合うことから始まる。他流試合だから。他流試合はすなわち武道。

姿三四郎は他流試合にいどんだ。柔道家としてはやってはいけないこと。しかし、そこが一番、大衆には受けるところでもある。

猪木はその流れをくんでいる。最後はそこに行き着いた。

思えば、アントニオ猪木とストロング小林の試合は日本人対決。国際プロレスのエースだった小林、それが国際プロレスを離脱して、新日本プロレスのリングに乗り込んで猪木と闘う他流試合。この猪木vs小林戦は今から思うと、形を変えた異種格闘技戦だったという見方もできる。猪木vsルスカ戦への呼び水になっていたかも。だんだん、そんな気がしてきた。

となると、日本プロレス史上最大の異種格闘技戦は、力道山vs木村政彦になってしまうという現実。いったい何がどうなっているんだよ。

だからプロレスは面白いのかも。そう思うしかないぜ。

さよならだけが人生だ。昭和は遠くなりにけり。

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