NEWSニュース

12・28両国は猪木に人生を狂わされた信者たちの追悼会!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

文◎谷川貞治(巌流島プロデューサー)

文◎谷川貞治(巌流島プロデューサー)

 

皆さん、大変ご無沙汰しています。

 

新型コロナウィルスが蔓延して以来、観客の人数制限もあって、新武道エンターテイメント『巌流島』は3年ほど休止させていただきました。その間、私は RIZINやキック団体を外から応援するなどして、現状の格闘技ファンに直に触れ、勉強させていただいていた次第です。

 

コロナ禍がやっと社会的に明ける兆しが見えてきた今年、そろそろ『巌流島』を再開させよう、休んでいた分、パワーアップしたことをやらなきゃと思っていた矢先、ある方と数年ぶりにお会いすることになりました。その、ある方というのがIGF(現・株式会社猪木元気工場)社長の高橋仁志氏です。高橋さんは私がK-1プロデューサーをやっていた頃、猪木さんと共に何度かお会いしています。

 

私の高橋さんの印象は感じの良い、上質な猪木ファン。「ああ、こういう人が猪木さんの近くにいて良かったな」という印象をずっと持ち続けていました。子供の頃、友達と猪木話で盛り上がったような話を何でもできる方です。

 

聞くところによると、今年8月に新生・IGF=猪木元気工場が設立され、再び高橋さんが社長に就任したということでした。その流れで高橋さんから「病気で苦しんでいる猪木会長に何とか元気を出してもらうためにも、何かイベントをやりたい。猪木さんも谷川だったら、面白いことをやるだろう!」という話が出ました。私にとっても、まさに身に余る猪木さんのお言葉です。

 

思えば一年前、YouTubeでやせ細った猪木さんの映像を見て、私もかなり動揺してしまいました。身内でもこんなに心がザワザワしたことがなく、還暦になってもなお、猪木ファンである自分を思い知らされた感じです。そこですぐに思いついたのが、巌流島でINOKI BOM-BA-YEをやることでした。

 

私は2000年のプロレスだけの『INOKI BOM-BA-YE』を皮切りに、2001年と2002年のTBSで紅白を真っ向、敵に回した年末の『INOKI BOM-BA-YE』を、RIZINの榊原信行社長とプロデュースしてきました。あの大晦日にやった伝説の安田vsバンナ戦ですね。

 

また、一時はPRIDEとの興行戦争で猪木さんとも疎遠になった時期もありましたが、その後、K-1の大会や大晦日の『Dynamite!!』、私が手掛けたMMAの大会にも何度も協力してくれました。そういえば、桜庭vs秋山のヌルヌル事件が起こった時、真っ先に「秋山を貸してくれ」と声をかけてきたのも猪木さんです。さすが抜群のセンス! 高橋さんと一緒にわざわざ食事に誘ってくれて、口説かれたこともあります。

 

私自身、どんな格闘技イベントをやるにしても、意識的に、あるいは無意識に猪木さんがやってきたことを根底にしています。自分が猪木さんに興奮し、熱狂したことを現代版にアレンジしてプロデュースする。私がやっていたK-1は単なるキックボクシングのイベントではありません。それこそ立ち技の異種格闘技戦であり、立ち技のIWGPをやろうとしていました。

 

だから、山本KIDや須藤元気、アンディ・フグやボブ・サップ、チェ・ホンマンたちを投入してきたのです。総合のイベントも「競技としてのMMA」ではなく、初期のUFCのような異種格闘技戦。そして、『巌流島』は武道をベースとした現代版の異種格闘技戦です。猪木さんの異種格闘技戦は、時代もあったし、あんな異種格闘技戦は猪木さんしかできません。それを私なりにやってきたのが、K-1であり、Dynamiteであり、巌流島なのです。

 

私は『INOKI BOM-BA-YE×巌流島』をやるにあたって、猪木さんに元気を出させるいろんな企画を考えましたが、試合は2001年の『INOKI BOM-BA-YE』の原点にかえって、まずは「令和猪木軍」を作ろうと考えました。「令和猪木軍」といっても、藤田和之とか、安田忠夫とか、そういったレジェンド世代ではないですよ。猪木さんに関連する若い選手、あるいは猪木さんに紹介したい、これからの選手を選び出し、猪木色を身につけてもらおうと考えたのです。

 

その令和猪木軍の選手が、世界の未知の格闘技と異種格闘技戦を行う。世界の未知の格闘技、あるいは未知の強豪を探し出すのは、巌流島の専売特許です。「令和猪木軍vs世界の格闘技」7対7マッチ、オール異種格闘技戦! これが私がまず考えたコンセプトです。その中で「令和猪木軍」の総監督には、猪木さんから「小川直也」の言葉が飛び出しました。さすが猪木さん、素晴らしいセンス。K-1やPRIDE時代に何度も出てもらった小川直也ですが、その頃の私はあまり接点がありません。私とオーちゃんとの化学反応も猪木さんの仕掛けのような気がします。

 

ところが、10月1日、猪木さんのまさかの訃報が届きました。私は年末の『INOKI BOM-BA-YE』も、来年も、この先も、体調が悪いのは分かっていながら、アントニオ猪木が亡くなるなんて全く想像もしていませんでした。非常に無念ではありますが、今大会は猪木さんの追悼の意味合いを含んだイベントになってしまいましたが、亡くなったからやるんではなく、最初から計画されたイベントだったのです。

 

発表します!

 

猪木さんを亡くした喪失感、亡くなったことでよりプレッシャーはかかりますが、12月28日、猪木さんにとっての聖地・両国国技館で『INOKI BOM-BA-YE×巌流島』を開催します!

 

思えば小学生の頃から猪木さんを見ていなかったら、私は今の仕事に就いていなかったでしょう。その意味で、私も猪木さんに人生を狂わされた一人です。猪木さんのファン、おそらく40代後半より上の世代は猪木さんに人生を狂わされた熱狂的な「猪木信者」がたくさんいます。12・28両国では、そんな昭和の「猪木信者」が猪木ワールドを感じられるイベントにしたいと考えています。猪木さんに人生を狂わされた人、猪木さんが青春だった人にぜひ来てもらいたいイベントにします。もちろん、猪木さんの実家は新日本プロレスであり、プロレス界なのですが、格闘技界としての猪木さんを見送る場にしたいと考えています。

 

また、今、若い子の間で「昭和歌謡」が流行っているそうですが、今の若い世代にも「猪木さんって、凄かったんだな」と思わせるようなイベントにしたいと考えています。それは、猪木さんがいた僕らの時代は、明らかに面白かった時代だという証明です。猪木さんの凄さを若い世代に届かせるのも、勝負の一つです。

 

オーちゃんとこの話を初めてした時、オーちゃんは「プロレスでも、格闘技イベントでもない。ボンバイエは闘魂イベントにするべきだ」と強く言われました。

 

闘魂イベント! 良い響きです。

 

12・28両国国技館で闘魂イベント、開催します!!

12.28両国大会の情報はコチラ⇒ 『INOKI BOM-BA-YE×巌流島』