ケンカに強くなりたければ、「ケンカ術」を見よ!
3・25巌流島のもう一つの見所、ケンカ術・林悦道師範インタビュー
…………先生がやられているケンカ術とは何かを教えてください。
林 ケンカ術は既成の武道とは少しおもむきが違います。基本的にスポーツとして闘うとか、ルールを定めて闘うということはありません。あくまで日常の中での闘いを想定する。武道を日常の中でどのように活かしていくかを考えています。
…………日常を想定するということですが、具体的にはどういうことを教えているのでしょうか?
林 まず第一に考え方。闘うための技術よりもどのようなプロセスで闘いに臨むかということ。その“考え方”を中心に教えています。生活の中での闘いですので、トラブルになってから闘うことよりも、トラブルにならないためにはどうしたらよいかを考えます。トラブルの避け方、またトラブルになった場合でも闘うかどうか、そして万が一、闘わなければいけないとしたら必ず勝てるかどうかを考える。必ず勝てるという状況でなければ闘いません。確信がないときには、あえて逃げることも考えます。むしろ、そちらをお勧めする。そういう考え方ですね。
…………勝てる状況でなければ闘わないというのが、まず基本としてあると。他に競技としての格闘技と違うところはありますか?
林 一般的な競技ではまず審判がいて、「はじめ!」というかけ声で試合を始めますね。会場もある特定の場所に設定されています。試合が始まるのも終わるのも審判が取り仕切りますね。しかし、ケンカ術の場合は、設定が日常生活なので場所そのものが特定されません。闘いを始めるかどうかも自分ですし、終えるのも自分で決定します。要するに選手と審判の両方を自らやるということなんです。
…………自分が選手でもあり、審判でもある?
林 一般の競技では審判が試合を進行させるので、選手自身よりも審判のほうが重要だという言い方もできます。ケンカ術では、単純に肉体を使って闘うことよりも、その前後の状況のほうがより重要だということです。どうしても避けがたく闘うことになったとしても、どう終わらせるかを考える。日常生活のトラブルですと、闘ったあとも相手との関係性が続くケースが多いわけですから、後々のことも考える。ケンカは相手との和解、いわゆる手打ちのことまで考えてやるべきなんです。
…………では試合の練習とケンカの練習では、何が違ってきますか?
林 武術としての体の動きの練習は、全体の半分以下。それよりも様々な状況において、どのような闘い方をするべきかを考えるのがケンカ術です。
…………場所等のシチュエーションをよく考えるということですね。
林 例えば、いまこうしてインタビューを受けていますが、この状況で突然トラブルになったらどうするのか? インタビュアーの体格がよくて手強そうだなと思ったら、まずは闘わずにニコニコしてやり過ごす。そしてインタビューが終わり、部屋から出たところで、そこらへんにある物を使ってゴツンと食らわすと。そういう闘い方をします。強そうだなと思ったら、正々堂々とは闘わない。重要なのは、勝つことですから。
…………環境を武器化すると。
林 その通りです。周囲のすべての環境を利用する。その環境が自分にとって有利ではないと思ったら、場所を移して環境を変える。不利な環境にこだわってやる必要はない。例えば、私は電車に乗るときには必ず車内を見回して、傘を持っている人はいないかチェックします。なぜかというと、長い物は武器として有効ですので、それを自分の武器として利用することを想定しておく。つまり、電車内での環境の武器化においては、近くに傘を持っている乗客がいるかどうかが重要になる。そういう段取りが肝になります。闘いは段取りがすべてですから。
…………他の場所にいるときでも、常にそんなことを考えながら生活しているんですか?
林 はい、常に考えます。食堂や喫茶店では視界の開けたところに座る。出口がどこにあるかもあらかじめチェックしておく。脱出口がどこにあるかを把握しておくということですね。これはとても大事なことです。私がホテルに宿泊する場合は、部屋に入る前に非常口の場所を確認しておきます。そして、その非常口まで実際に歩いていってみて、部屋を出たらどちらの方向に向かって走り、非常口までは何十秒ほどかかるのかを頭に入れておく。この段取りはいつでも必ずやっておきます。
…………先生が喫茶店で座っているときに襲われたとしたら、どう対処するんでしょうか?
林 喫茶店であれば、テーブルの上に水の入ったコップや灰皿なんかがありますので、そういうものを使います。まずコップの水を相手の顔にかけて一瞬視覚を奪う。そしてテーブルを相手にドンっと押してやって、動きを封じる。そうして相手を立ち上がれない状況にしておいて、自分がその場から脱出する。相手をとことんやっつけるということだけが、ケンカではないんですね。そうやって相手の動きを制したら、それ以上は無駄に痛めつけることをせずとも、その場を立ち去ればいい。
…………ケンカ術の練習は、どのようにやられているんですか?
林 練習は道場でも行いますが、応用問題としてやる場合には外に出て、歩きながら練習仲間に「いま、この状況だったらどうする?」と攻撃をしかける。そのときに瞬時に判断して「私ならこうする!」と対処法を答えるわけです。そうやって実戦のシミュレーションをします。大事なのは頭を使っていかに考えるかであり、状況を見て、自分が有利か、何が武器になるか。そういったことを瞬時に判断すること。
…………ケンカ術と一般の格闘技の技術がリンクする部分はありますか?
林 格闘技の試合でも役立つものはありますよ。投げたり、突いたりという技術がありますから。しかし、あくまで有利になる状況を作ることのほうがはるかに重要です。一般の社会においても、職場の先輩に「仕事は段取りで8割が決まるよ」ということを言われるかと思います。つまり、ケンカ術でもビジネス術でも、闘い方は同じだということ。ケンカの下手な人は段取りが下手なので、武道における肉体的な労力が大きくなってしまうんです。会社の仕事でも段取りをうまくやれば、より効率的に成果を出せるということですね。
…………ケンカに役立つ肉体的な技というと、どんなものになりますか?
林 シンプルなものが多いですね。押すだけとか、蹴っ飛ばすだけとか、一般の武道の闘い方に比べると単純な技が多いです。実戦では技はシンプルなほうが使いやすいんです。
…………ケンカでは相手を押す、押し出すということは重要ですか?
林 極めて重要だと思います。むしろ、押すことが技の大半を占めるといってもいいでしょう。
…………巌流島でも場外への「押し出し」を採用しているんです。
林 押し出しというのは、これまでの格闘技ではあまり見られなかった概念ですよね。非常に面白い考えであり、試みだと思って見ています。人を押すというのは単純明快ですけど、とても重要なテクニックなんです。相手を壁に叩きつけたり、高いところから突き落としたりといったことができますから。武道をやっている方々からすると、そんなものは技として認めないとおっしゃるかもしれませんが、実際にはそれくらい単純な技のほうが役立つと思っています。打撃のインパクトで相手をKOするのではなく、手で押す、蹴って押す。そのときに後ろに椅子でもあれば、それに相手の足を引っかけさせて倒す。そういう発想をします。
…………林先生をして「こいつはケンカが強いな」と思わせる人はいますか?
林 それは私にケンカ術を教えてくれた師匠である福さんですね。福さんは決して若くない初老のおじいさんだったんですけど、ケンカではこの人が強かった。私は幼い頃から空手をやっていたし、当時は重量上げもやっていて、腕に覚えがあったのですが、福さんにはまったく歯が立ちませんでした。なんといっても福さんは負けたことがない!
…………無敗の男!? つまり最強の男ということですか?
林 はい。なぜって福さんは強い相手とは闘いませんから。自分が勝てると確信しなければやらない。相手が強ければ、土下座して勘弁してくださいなんてことも平気でやるわけです。でも、階段なんかにいて、いまなら勝てると思えば、平気で相手を階段から突き落とします。ケンカというのは、そういうものです。私は若い頃、土木の現場で働いていたのですが、そこでは素手のケンカを見ることはほとんどありませんでした。鉄パイプだとか、スコップだとか、ノコギリだとか、何かしら武器になる物を使って闘います。師匠の福さんとも、そういう現場で知り合いました。まず、生身で闘うという発想そのものがないんです。
…………それでは武器への対処法も練習されてきたのでしょうか?
林 ナイフで襲われたとして、素手で立ち向かうのは利口ではありませんので、そういう状況では闘うのではなく、いかにして逃げるかを教えます。もし闘うのであれば、相手のナイフより長い武器を確保していなければならない。相手より有利な武器を有していて、勝てると思ったなら闘ってもよいでしょう。ケンカにおいて大事なのは、第一に状況判断。第二に有利な武器と状況判断の組み合わせ。最後は決断です。どうするか? ということですね。知らない相手であれば逃げるのもよし。相手が顔見知りであれば、どう和解するかも考えながら対応する。そういうことがケンカ術では大事なんですね。
…………先生にとっての究極のケンカ術とは、どんなものでしょうか?
林 私はケンカ術というのは、生活術だと思っています。ケンカ術では型をやるときにゆっくり時間をかけながら、攻撃が標的にちゃんと入るか確認しながらやります。いったん攻撃を止めて、どう闘うかを考えながら進めるわけですね。これは日常生活でも一緒です。何かあったときには必ず立ち止まって考える。そして、どうするべきか段取りをする。これは我々の人生においても同様ですね。つまり“生活術”だということです。実力行使をするところまでは持っていかない。実力行使はできるけども、そこまでいかずに終える。それこそが達人。つまり、人生の達人というものではないでしょうか。