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【ターザン山本に聞く5.11大会】テーマなき巌流島にあった「まだ見ぬ地平」

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サムネ

■ターザン山本
元週刊プロレス編集長。巌流島プロデューサー谷川貞治氏とは、週刊プロレス、格闘技通信を発行していたベースボールマガジン社時代の上司・部下の関係。

■柴田和則
巌流島の運営スタッフ。巌流島オフィシャルサイトの編集、外国人選手のブッキング、選手管理など諸々の運営業務を担当。

テーマなき巌流島

柴田 さぁ、山本さん。今回もやりましたよ、巌流島。

山本 おお、やったなぁ。

柴田 前回の巌流島が押し出し問題もあって、侃侃諤諤と紛糾したので、今回もそうなるものと思って、ちょっと構えてたんですよね。

山本 なるほどな。

柴田 それがネットで見ていても、ファンからはトゲのある声は聞かれず、拍子抜けというか、僕も完全にガードをおろして非戦闘モードになっていました。そもそも僕自身も、大会を終えて荒ぶるような心理状態にはなっていなかったんですね。

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山本 うん。それは偶然じゃないんだよね。それでいいんですよ。

柴田 なるべくしてそうなった?

山本 そういうことですよ。あのね、今回の巌流島は今までの中では特殊なケースなんだよね。興行の準備期間がなかったということ。即席で急に立ち上げて、急にカードを発表して短いスタンスでやったわけじゃない。この条件の違いというのは、内容の違いに比例するわけですよ。

問題はプラスに作用するのか、マイナスに作用するのか。しかし、それは読めないわけですよ。そして読めないということは、もう行くしかないんですよ!

柴田 読めないからこそ行くんだと。

山本 現場に行って見るしかないんよ。SNSというのは現場に行かない主義なんだよね。架空の情報をスマホでチェックして、それを現実であるかのような錯覚の中で生きてるわけ。しかし、それはリアルな生の体験とは違うんですよ。そういう意味で今回の巌流島は非常に慌てふためいた興行だったんだけど、俺の立場からするとこういうときこそ行くしかないんよ。今回の興行は準備期間が1ヶ月もなかったわけだよね。

柴田 選手にとってはもう12週間という準備期間で。

山本 そこで舞浜まで行って、自分の目で確かめるということが試されているというか。これは絶好なチャンスなんですよ。そこですでに行く人間と行かない人間に歴然とした差が出るんですよ。行った人間は時間とお金をかけてるわけだよね。

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山本 行かない人間というのは何も投資してないんよ。俺は実際に行って見たわけ。舞台上で何が行われるかというのが重要なわけだから。で実際に見てみて、やっぱりこれは特殊な回になってるなって思ったわけよ。

柴田 すぐにいつもとの違いを感じた。

山本 うん。準備期間がないことによって、「テーマなき巌流島」になってたんよ。

柴田 テーマなき巌流島?

山本 テーマをどう作るかというと2つあるんですよ。トーナメントで勝負論を展開していく。もうひとつは何かというと日本vs世界とか5vs5とかの団体戦。この2つがわるわけ。どっちが勝つかという勝負論を売り物にするわけだよね。でも今回の巌流島は準備期間がなかったので、この2つがないわけですよ。

柴田 そのいずれもなかった。

山本 なかった。これがなかったことによって、わかりやすい勝負論のテーマが展開できなかったんだよね。巌流島は武道でやってるから、選手たちはジャンルや流派を背負ってる。我々はそれを頭に入れながら見るわけ。ジャンルvsジャンルの対決を見るんだよね。それが巌流島のセールスポイントであって。しかし、今回はテーマなき勝負論だったことによって、ジャンルでもなく、流派でもなく、多くの場合が「個」として出てきてたんですよ。

柴田 あ~。「個」というのは現代において非常にキーとなるワードですよね。

山本 うん。例えば、第1試合は「ニャンニャン拳法vs酔拳」という対戦だと。そこで俺がどう見たかというと、バックボーンの対決か、個と個の対決かという2つの視点で見れるんだよね。この第1試合を見ていてよくわかるのは、形としては、酔拳はニャンニャン拳法に勝つということで、戦略的に作戦的に闘ったわけだよね。つまり、ザンス山田さんが言っているように「逃げる」と。いわゆる格闘技の形式にしないと。格闘技だと逃げるということは負けるということだから。

それで2Rに入ると一気に前に出て、やっつけるという作戦で、見事にニャンニャン拳法に勝利したんだよね。チーム山田、チーム瀬戸が、チームとしてニャンニャン拳法に勝ったと。大ももちはニャンニャン拳法を背負うといっても、あれは個人なんだよね。

柴田 大ももちは一応、ニャンニャン拳法の創始者ですからね(笑)。

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山本 あれは個人のパフォーマンスなんですよ。酔拳の今野選手はイケメンでしょ。だからバックボーンもあるわけだけど、本来は個人で闘ってほしいという気持ちもあるんだよね。でもニャンニャン拳法は個で闘って負けた。つまり、あの第1試合が今大会を象徴する試合だったんだよね。

柴田 「大ももちvs酔拳野郎」が大会の象徴的な試合?

山本 要は勝負にこだわるということは、バックボーンを潰してはいけないんだと。勝たなければいけないんだという勝負論があるわけだけど、大ももちはあくまで個人で出てるんだよね。その対決が勝負論において対照的で、面白かったなぁというのが感想だよねぇ。

柴田 バックボーンと個と勝負論。

山本 今回の8試合はほとんどの人間がバックボーンやジャンルは関係なしに、そういうものから解き放たれて、あくまで個人として闘っていたというのがトータルコンセプトとしてあったんだよね。

柴田 コンセプトなき大会に内在するコンセプトがあった。

山本 相撲とか空手とかムエタイとかあるんだけども、そういうバックボーンが後ろに引いて、それを背負わなくてもいいという自由さの中で、ある意味ではゆるいというかさ。ゆるい楽しさというものを彼らは満喫していたので、勝っても負けてもそんなに感情に起伏がないというか。

柴田 悲壮感がないというか。

山本 それがあの空間の中で蔓延していたんだよね。

柴田 たしかに一種独特な空気感に包まれていましたよね。怒り、悲しみ、憎しみ、あるいは怨念といったドロドロとした感情とは無縁の世界といいますか。

山本 感情の落差がないわけだよね。そこには選手たちの勝負論に対する自由さがあったわけ。要は巌流島というのは家族的というかさ。大家族のような世界観ができた特殊な大会だったんだよね。

柴田 ああ、そうか。それがファンも僕もガードを下げて非戦闘モードになっていた理由か。家族的なムードに包まれていたという。

山本 全体的な大家族主義の絆の中でやっているというね。最後の閉会式で出場選手たちが自然と輪になっていたじゃない。

柴田 毎大会、最後に全選手が固まって記念撮影をしますが、今回はまた風景が違った?

山本 明らかに違った。記念撮影ということではなく、自然と輪になっていたんだよね。そこが重要なわけ。そして、あれが最高に美しかったわけですよぉ。

柴田 あくまで個の闘いなのに、一方でその個が繋がり合うことで大家族的になるという。

山本 対立構造が後ろに引いていることによって、要は負けても「ボディガード失格」とか「ホスト失格」といった話にならなかったんだよね。

柴田 確かにそうでしたね。まぁ、何をもって「ホスト失格」とするかはまた難しい話ですが(笑)。

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山本 最後に出てきたシビサイ頌真というのは、巌流島では一度も負けていなかったわけだよね。だから本来であれば、負けたら大きなキズになるわけ。たった一回の敗北が大打撃になる。それなのに今回はシビサイが負けたけど、なんとなくキズがついてないというかさ。

柴田 そもそも誰もそこを気にしてないというか(笑)。

山本 そうそうそう(笑)。

柴田 本人もファンも傷ついてないし、「まぁいいか」っていう(笑)。

山本 本人もまぁいいかというね。実に呑気な世界というかさぁ(笑)。

柴田 たしかに罵声や怒号が飛ぶという雰囲気はまったくなかったですよね。ただ、ゆるさにも良いものと悪いものがあるわけですよね?

山本 今回のは良いゆるさですよ。非常に良いゆるさ。特殊な安心感が醸し出すというか。あれは不思議な世界だったねぇ。

行きはよいよい 帰りもよいよい

柴田 長老の山本さんをして、初めての体験だったという。

山本 要するに、勝負論がもたらす勝者と敗者の落差。それがもたらす感情の起伏、ダメージ、高揚、快感。本来はこれらが激しく上下運動するわけじゃない。だけど、それがないんだよね! ないわけ!

柴田 そうか。それは従来の格闘技の見方をそのまま当てはめると、違和感が生じるかもしれないですね。

山本 そこで違和感があるからダメということじゃなしに、非常に不思議な体験をしたなぁと、俺はポジティブにとらえたんだよね。

柴田 以前、我々格闘技ファンが熱狂したPRIDE的なものとは真逆の世界といえますよね。

山本 緊迫した「生きるか死ぬか」みたいなね。そういったものは誰も出してないんだよね。それが結果的に従来の格闘技とは、完全に一線を画す世界観を作り上げていたわけ。

柴田 よりプロレス的というか。

山本 プロレスともまた違うんだよね。本当に今まで見たことのない世界ですよ、あれは。

柴田 とうとう前人未到の領域に到達した(笑)。まさかのこんなスクランブル体制な大会で「まったく新しい武道エンターテイメント」が初めて実現されたという。

山本 だから現場に行かないとダメだと言っているんですよぉ。あのね、普通は流派を背負っていたら負けちゃいけないわけですよ。負けたら流派の存在価値が問われるわけ。だけど今回の巌流島を見てると、実に人がいいというかさ(笑)。

柴田 存在価値よりも人のよさが問われてしまった(笑)。

山本 善人たちの闘いというかさ(笑)。勝っても負けても、何かこう悲観することなく綺麗に終わってるんだよね。それが今までの格闘技に比べると非常に特異であるというね。

柴田 負けて「これで人生おしまいだ」というのじゃなしに、明るく帰って、SNSに楽しい写真をアップするという(笑)。

山本 負けがショックや後遺症になってなくて、すーっと負けたと。試合の入り口と出口とで、ほとんど変わっていないというかね。普通は入っていって負けたら、出口は悲惨になるわけじゃない。そういう落差がなかったんだよね。

柴田 「行きはよいよい 帰りは怖い」の世界がなかった。

山本 「行きはよいよい 帰りもよいよい」というかさ(笑)。絶望とか存在否定というものとは無縁なわけ。逆にそれが巌流島に特有で、美しさを醸し出してたよね。美しい巌流島だったんですよ。

柴田 そのゆるさが退屈や弛緩といったマイナスではなく、むしろ美しく映ったと。

山本 勝負論の過酷さを克服した、非常に美しい世界が現出したんだよね。それこそが巌流島の一番の最大の特徴なんですよぉ!

柴田 なるほどなぁ。今回もいい定義が出たなぁ(笑)。

山本 あの日起きていたことを定義すると、そういうことなんですよ。勝負論を超えたわけ。存在が徹底的に等身大だったというか。要するに勝負論の過剰性から自由だったというかね。

柴田 そうか。それで僕が感情のぶつけ方がわからなくなっていたわけだ。

山本 巌流島があらゆる格闘技の中で唯一、美しい世界を現出させたんだよね。

柴田 美しい世界においては、過剰な感情をどこかにぶつける必要もないというわけか。

山本 その意味において先日の巌流島は非常に稀有な大会だったんだよね。傷を残す。影を落とす。こういったものが1ミリもないというね。こんな興行は今まで見たことがありませんよ!

柴田 その一方で、山本さんは過剰に付加価値を生み出してくるなぁ(笑)。さすがだわ。

バシャーと勝った男

山本 それでさ、あのバシャーと勝った男がいるじゃない?

柴田 バシャーと勝った男?(笑)

山本 空手から出てきた人がいたじゃない。

柴田 ああ。高久空手の靖仁選手。

山本 そうそう。相手は?

柴田 日本拳法の左禅丸選手です。

山本 そうだよね。空手と日本拳法ということで、全体の種族は一緒だよね。

柴田 ああ。ざっくりと言うと。

山本 うん。イヌ科vsイヌ科というかね。

柴田 その表現はどうかと思いますが(笑)。

山本 種族同士の闘いだから、これは名誉を背負うことになるよね。勝った靖仁選手は大会のMVPで、一撃必殺で勝ったんだよね。あのシーンが一番光ったの。あれこそ巌流島の理想の闘い方だと。

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山本 他の格闘技はすべて技術体系が一つなんですよ。UFCという世界基準のフォーマットがあってさ。興行的にも金銭的にも最もスケールの大きいのがUFCなわけ。2番手、3番手、4番手はもうダメなわけですよ。世界基準ではスケール感だけが問われるんだよね。スケール感だけでいえば、みんなUFCに行きたがるわけですよ。

柴田 ビッグマネーが動くビジネスですしね。まぁ競技としても最高峰でしょうし。

山本 そこに日本やアジアが対抗してもUFCには勝てないわけですよ。世界基準の技術体系だから。そうするとどうなるかというと、その技術体系の中に入らないといけないんだよね。それで勝つために自分の流派の技術体系は捨てないといけないの。そうすると個性がなくなるわけ。

柴田 そのフォーマットの中で精度を高める、という勝負になってくる。

山本 うん。じゃあ、それに対抗するにはどうしたらいいかというと、反対のことをしなきゃいけないわけ。それが巌流島なんですよ。その中で自分の流派で、自分たちの技術体系でやっていたのが靖仁選手なんだよね。負けた日拳の選手も何もできずに一撃で負けたから、あれはダメージがないんですよ。

柴田 何もできずに負けたけどノーダメージ?

山本 ああいう形で負けたら、もう相手を尊敬するしかないから。すごいものを見たなと。体験したなと。そうして相手をリスペクトするわけ。これが巌流島の精神なわけですよ。だから、あの試合も非常に美しかったわけですよぉ。

柴田 勝負の明暗はわかれたけど、どちらかが天国でどちらかが地獄ということはなかった。

山本 ないない。ただ、勝ったほうは自分の技術体系を出して勝ったという、非常に幸せな男なんだよね。要は世界基準の技術体系で勝っても挫折感があるわけ。

柴田 自分はその基準にくだって妥協したという挫折感がどこかにある。

山本 俺は妥協して生きているんだという、半分は挫折感がつきまとうわけ。そこでの自分への問いかけ、対話というのが各流派の選手にあるわけですよ。それを見るのが俺にとってたまらない快楽なわけですよぉ。

柴田 山本さんは毎回だれよりも巌流島をエンジョイしてるもんなぁ(笑)。

ターザン山本、齢70にして宮戸優光に叱られる

山本 相撲の鈴川(真一)選手いるよね。彼にとって巌流島が他の格闘技と一点だけ違うのは転落があること。UFCは金網があって逃げられないという状況を作ってるわけだよね。昔のローマ帝国のパンクラチオンみたいに逃げられないと。

リングもロープがあって中に戻されるよね。唯一、巌流島にはそういう囲いがないんだよね。囲いがないという新しい空間を作り上げて、そこで転落というものができたんだよね。この転落が格闘家にとっては新しい概念なわけ。

柴田 相撲の選手以外には新しい概念になりますよね。

山本 それで今回、鈴川は自分がシビサイに勝つには転落しかないと。他の部分で闘ったら勝てないと。その作戦に徹したら勝てると。一方のシビサイは能力はあるのに押し出しされまくって、受け身になったんだよね。それで負けてしまったと。

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柴田 鈴川も自分のバックボーンである相撲に徹して勝ったわけだから、美しいんですよね?

山本 たださ、今度は作戦を立てて勝つことが本当に正しいのかという、これまた二重の問いかけがあるんだよね。他の格闘技では、戦略を立てて勝つことが正しいのかと問う必要はないわけですよ。でも巌流島が面白いのは戦略的に作戦的に勝っても、それは本当の勝ちなのかと問いかけるのが、巌流島の精神なんですよ。

柴田 山本さんのフェチ的には、そこが巌流島の最大の見所なんですよね。

山本 試合後にそのことを宮戸優光に伝えたんだよ。そしたら宮戸が怒ってさ!

柴田 鈴川選手の師匠にして、名戦略家の宮戸さんを憤慨させた!

山本 宮戸が「人生において計画的だとか戦略的なことをするのはおかしい!」って怒り出してさ。

柴田 あの宮戸優光に火をつけてしまった……

山本 計画を立てるということは、それに縛られる自分がいると。そうすると想定とは別の状況になると対応できなくなると。昔は計画的に戦略的にやることがあったけど、今はないと。自分がやっているキャッチアズキャッチキャンも、計画とかはなしに、どんなケースでもそのつど自由に対応できるものなんだと。だから「戦略的・計画的なものはない」と、俺は怒られたよ!

柴田 頭脳派の宮戸さんに理路整然と叱られた(笑)。宮戸さんには、キャッチアズキャッチキャンはどんなことにも対応できる術であるという誇りがあるから。

山本 彼はこんなことを言いましたよ。「山本さんだって最初の一字を書いたら、あとすべて書けるでしょ。初めから全部を計画的に書いてないでしょ」って。確かにそうなんですよ。最初に書き始めたら、そこからどんどん出てくるんだよね。それと一緒だと言われてさ。なるほど、宮戸優光はすごいことを言うよなぁって俺は感心しましたよ。えらい男だなぁってびっくりしたんですよぉ。

柴田 最後はまたシビれたみたいで、よかったじゃないですか(笑)。

山本 例え話もすごいなと思ってさ。俺はシビれましたよぉ。理論派な人というのは、理論的なことに対しては妥協しないから。そこはガッとくるわけだよね。

柴田 そこはなぁなぁに流したりしないんですね。

山本 絶対に流さない。流したら自分は終わりになるというのがわかってるから。自分の中心軸に入ってきたら絶対に譲らないわけ。それがまたいいんだよね。俺が鈴川がシビサイに戦略的に勝ったというのを否定されたというのは面白いなぁと思って、俺は宮戸に感謝したんだよね。

柴田 全否定されましたからね(笑)。

時代を知りたければシビサイを見よ!

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山本 一方でシビサイというのは人がいいなぁっていうさ。あんまりガツガツもしてないしさ。体格的に恵まれてるからコンプレックスもないし。巌流島期待の星なんだけど、自覚症状がないんだよね(笑)。

柴田 「ガツガツしない」「コンプレックスがない」というあたりは、いかにも現代っ子らしいというか。

山本 まさに現代の若者なんだよね。そんなに切羽つまって生きる必要もないというさ。それが今回も丸出しになってたよね。

柴田 今回、シビサイが追い込まれて多少なりとも変わるような様子はなかった?

山本 なかった!

柴田 そんなシビサイは、あのままでいいんですか?

山本 俺はとにかくシビサイは人がいいなぁと思ったよね。

柴田 格闘家の評価が「人がいい」(笑)。

山本 人がいいということで肯定するわけですよ。

柴田 変にドロドロしてなくて基本、善良であると。現在の時代性をつかむには、実はシビサイを見ておくといいかもしれない。そういう意味では、僕はシビサイに逆にものすごく興味があるんですよね。得体が知れないというか、むしろもっともっと知りたくなる。

山本 時代を知りたければシビサイを見よ!ですよ。

柴田 そもそも現代において「エース」というのは必要なんでしょうか?

山本 あのね、エースという考え方自体が死語なわけ。ナンセンス。無意味。時代遅れ。

柴田 確かに今この時代において「エース」という言葉を使ったときに、なにかこう胸にカチッとこない感覚があるんですよね。しっくりこないというか。

山本 うん。今は「個」の時代だから。

柴田 今の社会構造では個が独立していて、「一人の絶対的覇者とそのほか大勢の人々」という構造になっていないわけでね。そんな時代において絶対的な覇者のみが君臨するというのは、人々の心にしっくりとハマるかというかとどうもハマらない。格闘技界にも新しい構造の在り方が必要なのかもしれないですよね。

山本 同じことをしていてもしょうがないわけですよ。思考停止したらお終いなわけ。

柴田 エネルギーの総和自体は、昔も今も変わらないと思うんですよ。現代は個と個のネットワークが繋がり合って、その相互作用によって巨大なエネルギーを生じさせるというか。むしろ、そのエネルギーの受け止め方、アクセス方法がこちらにあるかどうかということが問題であって。

山本 その新しい手法を考えていくのがまた、我々に与えられた命題なんだよね。

武道とは「男とは何か」

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柴田 今回の巌流島は「武道」としてはどうだったんでしょうか?

山本 武道とは生き方が問われるわけだよね。そういう意味での勝負論の強制力とかプレッシャーとかからも自由だったね。でもね、武道というのは要は「男とは何か」だから。

柴田 男とは何か?

山本 女性であれば「女とは何か」ね。勝ち負けを超えた男とは何か。生きるとは何かということなんですよ。勝負の世界に入ると、男とはいかに保守的であるかというのが見えてくるんだよね。そもそもこの世界には「男とは何か」「女とは何か」という、この2つのテーマしかないんよ。

柴田 この世の中の根源的な部分において。

山本 その中で武道というのは、男とは何かを問われる最高の理念なわけですよ。優秀なマシーンか、最強のマシーンかということではなくて、「男」とは何かを見るわけ。それが武道なんですよ。

柴田 「人」とは何かというか。ホストにしてもボディガードにしても、彼らを通して「男とは何か」を見ていくという。

山本 男とは何かというとね、男は儚いものよ。切ないものよ。そういった意味で、儚さと切なさはホストとボディガードから最も見て取れたね。

柴田 ホストとボディガードの闘いから、それが最も感じられた?

山本 俺は感じ取ったね。2人とも負けたんだけども、男とはどういう生き物であるかという部分で、儚さと切なさをしっかり見せたという意味では、あの2人が影の影のMVPなんだよね。

柴田 巌流島は生き方を見せる場だという意味では、彼らもまたMVPであると。

山本 ボディガードとホストの人生の年輪が見えたじゃない。俺には見えたよ。

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柴田 なるほどなぁ。いやぁ、今回のお話も非常に面白かったです。ありがとうございました。5.11巌流島の最後の総括は「6.5トークショー in 高円寺」でライブでやりましょう。

山本 やりますよぉ! これはまだプロローグだからね。ここからが本番よ。これを読んだうえでトークショーに来ないというなら、それはもうモグリと言わざるをえないよね。

柴田 我々としては現時点でもう勝利宣言であると(笑)。

山本 あとはファンの人たちが勝利宣言できるかどうかだな。

柴田 そういうことで皆さん、65日(水)に高円寺で行うトークショーはチケット絶賛発売中です。巌流島とは何か。人生とは何か。生きるとは何か。みんなで語り合いましょう!

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6.5高円寺トークショー・チケット発売中