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ターザン山本に聞く9.17巌流島問題。「純か不純か」に支配されたトーナメント

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お題………賛否両論! 全日本武術選手権。刃牙の世界は実現できるか?

サムネ

■ターザン山本
元週刊プロレス編集長。巌流島プロデューサー谷川貞治氏とは、週刊プロレス、格闘技通信を発行していたベースボールマガジン社時代の上司・部下の関係。

■柴田和則
巌流島の運営スタッフ。巌流島オフィシャルサイトの編集、外国人選手のブッキング、選手管理など諸々の運営業務を担当。

武術トーナメントの呪いとは?

柴田 さて様々な意見が出たり、ぶつかったりしてる問題の9.17巌流島・全日本武術選手権。これって結局どういうことなんでしょうか?

ターザン SNSを見てると、お前が一番興奮してるじゃないか。ガーガーわめいて。自画自賛でさ。

柴田 恐縮です(笑)。まぁ、僕は面白かったなぁと思ってますよ。試合としてとかじゃなく、現象として面白かった。いつにも増して、思わず語りたくなってしまうものがある。

ターザン それをこの俺が言語化してやるんですよ。

柴田 よろしくお願いします。今回、タックル問題やルール問題など色々出ていますが、何が本質なんでしょう?

ターザン まぁ、菊野(克紀)さんの沖縄空手の師匠である、山城(美智)さんが書いてる文章が一番わかりやすいよね。あれが一番的を射てるね。

柴田 どういった解釈なんでしょう?

ターザン 要するにさ、谷川(貞治)が出場選手の皆さんに勝敗うんぬんよりも、流派が持っている特別な技術体系を前面に出してやってくださいねと言ったわけだよね。

柴田 はい。それは谷川さんが、出場選手への喚起として、毎大会の前日ミーティングで伝えていることです。

ターザン その谷川のメッセージと、現実のトーナメントの内容を見た山城さんが答を言ってるんだよね。つまり、様々な流派があり、流派には流派なりの技術体系があるし、佇まいもあるし、構えもあるし、間合いもある。流派はその流派の中で切磋琢磨し、技術の成果をあげることをやってると。

しかし、それがいざ他流派と向かい合うと、MMA化するんだよね。全員が MMAの構えと間合いになってしまう。つまり、流派には流派のプライドがあり、勝たなければいけないと。そして勝つためには MMAの闘いに転化してしまう。では流派の特色はどうするのか。そこに呪いがあると。

柴田 山城さんはそれを「呪い」と表現した。

ターザン 要は流派は負けたら困ると。勝つためには MMAの技術体系を採用しないといけない。そうすると自分の流派のものが出なくなる。そういう自己矛盾があるわけ。

柴田 巌流島の自己矛盾というか、谷川の自己矛盾というか(笑)。

ターザン その自己矛盾が、各流派の根源的な呪いとして、選手たちを支配していると。そういうことを山城さんは言ってるわけ。あれが最大の答だよね。

柴田 呪いですか……

ターザン まず、そこで呪いの実態を解明しないといけないんだよね。

柴田 呪いの実態。それはなんなんでしょう?

ターザン うん。その答えをなんとさ、柴田が言ってるんだよね。

柴田 僕?(笑)

ターザン そう。お前が言ってるんだよ。

柴田 僕が何か言いましたっけ?

ターザン 俺はびっくりしたんだよね。お前がFacebookで色々書いてるじゃない。それを見てピンと来たんだよ。お前が呪いと関連するキーワードとして「巌流島の選手たちは純。谷川と自分(柴田)は不純である」と言っていたわけ。不純であると。

柴田 ああ。まぁ僕はただ原翔大をいじりたかっただけですが(笑)。

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ターザン 要するに、選手たちは純であると。

柴田 純情野郎だと。

ターザン うん。この「谷川と自分は不純である」と言った意味が、今回の巌流島の最大のキーワードなんですよ。

柴田 これまた斜め上をいく答を持ってきたなぁ(笑)。

相撲道における純と不純

柴田 つまり、どういうことなんでしょう?

ターザン あのね、これを一番わかりやすく表す例があるんですよ。それは大相撲ですよ。

柴田 相撲?

ターザン 大相撲には「相撲道」っていうのがあるんだよね。立会いがあり、勝ち負けがある。そこでお相撲さんはもちろん勝ちたいわけですよ。

柴田 もちろん。

ターザン 勝ちたいという欲望があるよね

柴田 番付もあるし、角番もあるので勝ちたいですよね。

ターザン 黒星になったらマイナス面が大きいよね。場所は15日あるけど、負けはリスクにしかならない。だから勝ちたいと。でもね、相撲道があるから立会いがすべてなわけですよ。あの一瞬が最も緊張するところなの。そこで純な気持ちがあるのなら、まともに呼吸を合わせていったらいいわけですよ。でも欲望があるから呼吸が合わなくて、待ったになったりするじゃない。そこで駆け引きをするわけ。まっすぐいけばいいのに、よけたりするでしょ。

柴田 変化したり。

ターザン そう。変化したら勝てるけどブーイングが起こるじゃない。そして勝った本人にも自責の念があるわけだよね。こんなことをして俺は勝ったのか、という。他に張り差しとか、かち上げとかあるわけだけど、それは勝ちたいがゆえの欲望なわけですよ。これで負けたら大関転落だという大事な取り組みで、変化したりするわけだよね。

柴田 背に腹はかえられないというか、綺麗事を言ってる場合じゃないと。

ターザン つまり勝ち星・負け星に向き合う中で、純な気持ちと不純な気持ちが、立ち会いの瞬間に常に同居しているわけですよ。自分の中で純でなければいけない、まともにいかなきゃいけないという気持ちと、勝つために卑怯な手を使うという不純な気持ちの両方が渦巻いてるわけよ。ここに勝負論に関わる、純と不純の精神構造があるわけだよね。

純でありすぎると負ける。駆け引きをして卑怯な手を使わないと勝てないという不純な気持ちがある。そこで自分に対する物凄い問いかけがあるわけじゃない。つまり、純であるか不純であるかということが、すべての勝負に関わる人たちの根源的なアイデンティティなわけ。これなんですよぉ、問題は!

柴田 根源はタックル問題ではなく、純不純問題(笑)。

純不純から自由だったプロレスラー奥田

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ターザン そこで流派の人たちが純であろうとするならば、谷川が言うように、自分独自の技術体系で闘えばいいわけですよ。違う?

柴田 余計なことは考えずにね。

ターザン 自分がいつもやっている佇まいとか、間合いでやればいいわけですよ。でもね、そこで負けたら流派の威信に関わるし、流派の存続に関わるという不安があるので、勝ち残るために純な気持ちから不純な気持ちになるじゃない?

柴田 はいはい。

ターザン 一方で不純な勝ち方でいいのか?という疑問もあって、頭の中でグルグルと巡るわけだよね。それが今回のトーナメントの16人全員の中で支配的だったんだよね。そこで勝ったのは奥田(啓介)だった。あの人がすごいのはね、純も不純も関係ないわけですよ。

柴田 奥田だけ純不純問題から自由だった?

ターザン 奥田だけ関係ないの。だって、プロレスラーは流派の重荷を背負ってないから。

柴田 ああ、奥田はプロレスを背負ってはいない。

ターザン プロレスはエンターテイメントだし、プロレスに流派というのはないから。流派を背負ってないから、唯一、奥田だけが自由だったわけですよ。奥田だけ純か不純かということに悩まなくてすんだわけ。それが奥田が勝つ一番の要因だったわけですよぉ。

柴田 あの日の奥田がまっすぐに見えたのは、それだけ迷いがなかったからだと。

ターザン そういう意味では、奥田が最も純だったわけですよ。

柴田 純も不純もないけど、もっとも純だった?

ターザン 純も不純もないから、純だったわけですよ!

柴田 これまた逆説的な。

ターザン 要するに、勝つということだけを考えたら、数学的にこの闘い方だなと。押し出しだと。転落だと。その点において、奥田は最高に純だったわけですよ。

柴田 奥田には、自責の念や悩みといった淀みがなかった。

ターザン 彼には純も不純もない。ただ、まっすぐにイノセントな気持ちで、あの闘技場に上がってきたわけ。だから、彼だけすごく明るいわけですよ。コンプレックスとか重荷とかをまったく背負わずに来ていた。そこには呪いがないわけですよ。

柴田 彼だけ呪いにかかっていなかったわけだ。

ターザン だからストレートに勝負論に入れるんだよね。ただただ勝つことしか考えていないから、やってることがアホらしいくらい単純なんですよ!

柴田 アホほどシンプル(笑)。

ターザン シンプル度100%! 彼にはなんにもないわけ。なにものからも自由だったわけですよ。

柴田 無敵のからっぽ野郎だったと(笑)。

ターザン こっちは純と不純の気持ちと闘いながら、勝たなければいけない、守らなければいけないと気持ちが渦巻いてるのに、奥田は何も考えずに突進してくるわけですよ!

柴田 なんでお前だけ何も考えずに突っこんでくるんだよ!っていう(笑)。

ターザン そうそうそう。あの16人がどれだけ純か不純かというのを計測すれば、その数値が出てくるわけ。

柴田 程度の差こそあれね。

ターザン でもね、奥田だけ純度不純度0パーセントなんですよ。これにあの場にいた選手も観客もびっくりしたわけ。

柴田 呆然として、頭が真っ白になった。一体これはなんなんだと(笑)。

己の流派に殉死した現代空手道研究会KENGO

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ターザン 他の選手たちは純と不純が入り混じった中で、試合が始まった瞬間にMMAの間合いに入っていってやろうとしたわけですよ。勝たなければいけないというプレッシャーで、勝つという不純な欲望に染まってたわけ。自分の流派に殉死する精神が放棄されてるなと思ったんだよね。俺はそれを見てガッカリしたわけですよ。自分の考え、流儀、技、間合いで勝負して負けたんなら仕方ないわけじゃない。でも、それをやったら勝てないというのでMMAのほうに移行してしまったわけよ。その中でただ一人、KENGOだけ自分のことをやっていたんだよ。

柴田 現代空手道研究会のKENGOだけは違った?

ターザン 彼だけはそのまま来たわけですよ。彼らの空手独自の構え、独自の呼吸法を使ってやっていたので、こいつは純度高いなぁと思ったんだよね。

柴田 こいつは殉死する気で来てるなと。

ターザン そう。自分の流派に殉死して、これで負けたら仕方がないから、俺はこれしかやらないよという形で、純度が高いわけですよ。

柴田 ああ、それで山城さんがKENGOを「爽やかであり、美しい」と話していたんですね。純度が高いから。

ターザン そうそう。勝つんだという野心よりも、俺はこれをやってきたんだから、これでいくよという風に割り切れていたんだよね。

柴田 割り切って、殉死して本望だと。だからこそKENGO選手には悲壮感もなく、爽やかさがあった。

ターザン 邪念がないというかね。それがないから、めちゃくちゃ美しく見えたわけですよぉ。

柴田 透明に映ったと。

ターザン そう。俺は全員にそれをやってほしいんだけど、それぞれに流派の威信があるから負けられないわけですよ。俺だってもちろん負けられないということは重々承知なわけ。で負けられないんだったら、とことん不純になればいいんですよ。勝つために徹底的にやればいいんだけど、そこまでは踏みこめないという。そこまでは振り切れないというね。

柴田 中途半端な状態になってしまった。

ターザン そのへんの彼らのジレンマとかそういったものが丸出しで見えてたから、最高に面白かったわけよ。

柴田 だからつまらなかった、とはならなかった?

ターザン なりませんよ。そういう彼らの心の迷いと葛藤と矛盾と自責の念と悔しさが渦巻いているのを見て、俺は最高に興奮したんよぉ。

柴田 不純にも興奮しちゃった(笑)。

ターザン その圧倒的なリアリティを目の当たりにして、思わず興奮したんだよねぇ。不純というのは勝ちを取りにいくわけだから欲望なわけですよ。勝つことが意味する、名誉とか地位とかお金とか諸々の付属品があるわけじゃない。しかし、そこまでは徹しきれてない。でも自分の技も出しきっていないという。その中途半端さがめちゃくちゃ面白かったわけですよぉ!

武術と武道の違いとは?

柴田 ネット等では、その中途半端さが面白くないという感想が少なからず見られるわけですが。

ターザン その中途半端な心の葛藤が全員を支配したわけですよ。そこで葛藤するのであれば、他流試合に出ることなく、自己の流派の中で延々と技の精度を高めていけばいいわけ。しかし他流試合に出た瞬間にどうなるかという、この新たな実力測定場所にものすごいリアリズムを見て、俺は興奮したわけですよぉ! しびれたんだよぉ!

柴田 それはよかったです(笑)。

ターザン 俺は最高のものを見たなと思ったね。俺は結果や勝敗よりも、選手の内的宇宙を見るのが楽しかったわけですよ。

柴田 選手の心の中を見る。形のないものを見る。それが一番面白い部分ですよね。

ターザン そこで大事なのは武術と武道の違いですよ。勝つために最短距離・最短時間で勝つのをベストとするのが武術ですよ。ということは自分は無傷で勝つわけ。それを徹底的にやるのが武術の最高峰ですよ。武道はね、そういう武術の人間が目の前に来たときに、最短距離・最短時間で勝つのではなく、遠回りしながら、横道にそれながら、そいつを料理するんよ。

柴田 遠回りしながら料理? どういうことですか?

ターザン 遠回りしながら料理する腕と頭脳とインサイドワークを、すべて身につけてなきゃいけないわけ。それを武道というんですよ。輩がかかってこようと、武術家がこようと微動だにしないで、すぐには勝たずに遠回りしながら勝つ。それが武道ですよ。そこまでいくには達人の要素が必要なんですよ。武術には達人はいらないの。達人になったときに、はじめて武術から武道に上がるわけ。そして、現代において、その達人に最も近いのが菊野克紀ですよ。

柴田 お、ここで出てきた菊野。ミスター巌流島。

ターザン 菊野はどんな相手がこようと、すべて沖縄空手で勝負してるじゃない。唯一彼だけが武道的な闘いをして、武術を制覇してるんだよね。今最高の武道家は菊野なんだよ。相手がMMAで来ても、それをさばくじゃない。

柴田 UFCで敗れたケビン・ソウザも武道でさばいて、一刀のもとに斬り捨てました。

ターザン あのとき誰も菊野が勝つとは思ってなかったんですよ。当然のごとく、MMAに、資本主義に飲みこまれると思っていた。しかし彼は武道をやって、飲みこまれることを拒否したわけ。これなんですよぉ。結局、他の流派の人たちは、菊野のレベルにはいっていないということなんだよね。

柴田 それがまさに山城さんがブロマガで語っていたことですよね。

ターザン そうそう。今度はそういうレベルの問題になるわけだよね。

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柴田 山城さんは、俺たちはしっかりと呪いを受け止めて、流派にこだわり、魅せて、そのうえでちゃんと勝ってきたじゃないかと。そう言ってるわけですよね。

ターザン 暗にそう言ってるわけだよね。あれは山城さんの勝利宣言なわけですよ。

柴田 ターザン山本風にいえば勝利宣言ですね(笑)。

ターザン 菊野・山城コンビが実証してるわけだよね。あれが理想形なんですよ。それが改めて今回の武術選手権を見てわかったよね。

不純を突き詰めることで純に純化する

柴田 ただ、それを全選手に求めるのは難しい現実があるのも確かで。だからこそルールで、ある種もう半強制的に修正していかなければいけないのではないかと。

ターザン そこでまた純不純論が出てくるんだよね。手段を選ばずに勝つことは、果たして不純なのかという問題があるわけ。一般的には純の反対は不純だよね。そして比較対象としては、純であることは不純の上にあるよね。でも俺は格闘技の世界においては、純の反対は不純じゃないと思ってるの。

柴田 では、なんなんでしょう?

ターザン 不純というものの中に身を染めて、その中で純を高めるというのが俺の考え方よ。つまり、勝負論に入っていかざるをえない以上、不純になる以外はないわけ。でも不純を徹底させることによってしか純にならないわけですよ。

柴田 不純を突き詰めることで純に純化する?

ターザン そうそう。でも不純な手を使うとなると日本人は一歩引くから。不純になりきれないわけよ、日本人は。そして不純になりきれないということは、純になれないってことなの。みんなが不純は悪であるとか、美意識がないと思ってるから、不純に徹しきれないのよ。だから純にもなれず、勝つこともできないんですよ。

柴田 ああ。その純にも不純にもなりきれない感じに、今回ファンの人たちがモヤモヤしてるわけか。でも、そこで奥田だけは違ったわけだ。

ターザン 奥田はそういう構造とは別の存在で、純も不純も関係なかった。あれはマンガですよ。

柴田 奥田はマンガ。まさに刃牙の世界(笑)。

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ターザン それに対して、他の選手たちは真剣で真面目であるがゆえに、中途半端になったわけ。欲望はありながらも不純になりきれないから。でも奥田は純も不純も関係ないから、心の中に陰がないわけ。それって楽だよね。だから、あいつは楽に勝ったわけ。

柴田 他の選手には陰が見えた?

ターザン うん。暗さというか、呪いというか、迷いというか、罪悪感というかね。それが全部見えたわけですよ。

柴田 トーナメントというフォーマット自体が勝ち上がっていくためのシステムなのに、勝ちよりも流派の良さを見せろと言われること自体が、自己矛盾になるわけですしね。

ターザン 自己矛盾の塊になるわけよ。勝負というのは自欲の世界なんだから。そこで徹底して欲にこだわれば純になれるんだけどね。

柴田 でもそれが日本人にはできない?

ターザン できない。日本人が持っている、どうしようもないトラウマというか芝居というかさ。今回それがもろに見えたね。日本人じゃなかったら、みんな勝ちにいきますよ。

柴田 外国の人たちには呪いはかかりませんか。

ターザン かかりやしませんよ。だってあの呪いはそもそも自縛だから。自分で自分を縛ってるんだから。俺はどうやって勝てばいいのか、とにかく勝てばいいのか、いや、それではだめだよな、と呪いをかけてるんだよね。

柴田 ということは日本人選手の中では、いまだに答が出ていない。

ターザン 出てない。そんなことは関係ない、という精神にはなれないんだよね。みんながそれぞれ心の中にはっきりしないものが残ってる。

柴田 その一方で奥田は?

ターザン 奥田は何も気にしちゃいませんよ。何も考えないで、プロレスをやったり、RIZINの観戦に行ったりしてますよ。脳天気に。そりゃ勝ちますよ(笑)。

柴田 我々だけが置いてけぼりになってるわけだ(笑)。

谷川プロデューサーのダイナミズム

ターザン じゃあ次の大会でもそうなるかといったら、そうじゃないんだね。みんなもうわかってるわけで。この体験はもう二度とできないわけ。そういう意味でもこの第一回大会は、最大に面白かったね。つまり今大会のテーマは「不純という純」。これなんだよね。不純を大前提にして進んでいくと純が見えてくる。悪人なほもって往生す。悪人正機の世界ですよ。

柴田 深いなぁ、巌流島の世界は(笑)。ちなみに谷川さんは純・不純でいうと、どういう存在なんですか?

ターザン 谷川はね、武術選手権の未来像やデザインを本当の意味では何も考えていない、というのがいいところだよね。

柴田 何も考えてない脳天気野郎がここにもいた(笑)。

ターザン あいつは投げっぱなしだから。何も考えずに投げっぱなしで、ちょっと見てみようかっていう。あんな無責任なプロレスラーはいませんよ。

柴田 泣く子も黙る、戦慄の投げっぱなしジャーマン(笑)。

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ターザン 投げっぱなして、それがプラスになるのか、マイナスになるのかというのが、谷川のダイナミズムですよ。それが谷川の変なところであり、面白さでもあるんだよね。だから今回の大会もまさに谷川的だったわけ(笑)。

柴田 んあ~。

ターザン でもそれがまたうまく面白いほうに転ぶというのが、谷川のすごいところでもあるんだよね。

柴田 「各流派の技で闘ってね」と、みんなに呪文をかけて、あとは野となれ山となれっていう(笑)。

ターザン それが結果的に呪いになったわけですよ。その呪いにかからないのが、奥田と山城先生だったというわけ。それが今大会の真相ですよ。そしてまた、勝ち負けだけをやっている面白さや興奮度じゃなしに、闘っている選手の心の内の葛藤を同時に自分に投影して見る楽しさがある。そこが巌流島の最大の魅力なんだよね。

柴田 うまくまとまりましたね。

ターザン 素晴らしいな。俺も巌流島も最高だぁー!!

柴田 自画自賛、ありがとうございました(笑)。

9.17巌流島のレポートはコチラ⇒『全日本武術選手権 in MAIHAMA』

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