GANRYUJIMA BLOG巌流島ブログ

巌流島の新たな問題提起。武術ならば裸か? 道着着用か?

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お題………賛否両論! 全日本武術選手権。刃牙の世界は実現できるか?

文◎山田英司(BUDO-Station主宰)

文◎山田英司(BUDO-Station主宰)

巌流島なら裸が有利?

久々の巌流島は面白かったので、私はその日のうちに、ブログに次のような感想を上げた。

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今日は久しぶりの巌流島。全日本武術選手権。アマチュアの大道塾、日本拳法、サンボ、数見空手、柔道等の他、ムエタイ、修斗、プロレス、パンクラスなどのプロ選手を含む16名のトーナメント。結果から言うと優勝はプロレスの奥田啓介選手。優勝コメントで「プロレスは強いんです!」と叫んでいましたが、レスリングで実績のある奥田選手の身体能力は確かに凄かった。

1回戦後に隣りで見ていた巌流島の柴田さんに「優勝は奥田選手でしょう」と言うと、「そんな予想は誰もしてませんよ」との返事。

しかし、今日のルールだとクレバーな奥田選手には誰も叶わないでしょう。なにしろ、各武術の道着を着用して闘う。すると裸で戦うプロレスや修斗、相撲などは圧倒的有利。奥田選手は相手の道着を掴みコントロール。掴めなくとも、レスリング選手は巧みに自分の身体を押し付け、相手を簡単に場外に押しだせます。

奥田選手は一回戦からこの戦法でほとんどノーダメージで一本勝ちを重ね、優勝。 もちろん、奥田選手が道着をつけたらまた展開は変わるでしょう。相手が道着を着ていた場合、巌流島で有効なのは襟を掴んで膝連打。そこからテイクダウンを奪い、マウントパンチ。打撃が得意な選手はほとんどこのパターンですが、裸のレスリング選手にはこれが通用しない。

大会タイトルは武術選手権ですが、武術とは、道着着用で闘う体系なので、裸の相手には苦戦しますね。ある意味武術の盲点を気付かせてくれた大会だったので、非常に面白かった。

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大会の経緯を中心に報告した内容なので、深い考察はないが、1日経って考えて見ると、これはなかなか難しく、深いテーマであると思いだした。 組技がありだったら格闘技のように上半身裸の服装があきらかに有利である。となると、日常の闘いを想定する武術は、常に服を着ていることを前提に技術ができているため、このルールだと不利になる。

だから選手の公平を期す為には、今後の巌流島は、全員指定の道着を着用すべきである。というのが一般的な落としどころだろう。

この考えは筋が通っているし、巌流島が普遍的な格闘技ルールを確立しようと思うなら、そうすべきだろう。

しかし、せっかく巌流島が武術の盲点を明らかにしてくれたのに、これで終わらせてしまうのも、何かもったいない気がする、などとやる側の人間はマニアックに考えてしまうのである。

組技の実戦的な練習法とは?

だから、ここから先は見る側の人間にはどうでもいい内容である。しかし、やる側には重要なテーマだ。

それは、組技は、裸で練習するのと、道着着用で練習するのと、どちらが実戦への対応力が養えるか?と言う問題である。

元々レスリングも相撲も実戦への対応力を養うべくルール化したのだろう。そこには裸で闘った方が総合的な身体能力が増す、と言う考えが根底にある。

これに対し、柔道、柔術、サンボ、モンゴル相撲、シュワイジャオなど多くの組技系は何らかの道着を着用する。掴みやすく、技がかけやすいため、投げの技術や防御が発達する、と考えたのだろう。

実戦では、裸で闘うことは風呂屋か海辺くらい。だから裸は実戦的ではない、と言う議論とは違う。実戦や護身は服を着用しての闘いを想定するにしろ、その対応力を養う方法論として、どちらが効果的か?と言う話だ。

サムネ

話はますますマニアックになるので覚悟してほしい。 巌流島の初期の試合で知り合いのムエタイファイターが出場した。彼は首相撲からの膝が得意で、タイ人相手でも互角に戦える実力者だった。

しかし、巌流島で道着着用で膝蹴りを行なおうとしたら、道着着用に慣れた相手に奥襟を取られ、コントロールされ、逆に膝蹴りをもらっていた。裸を前提にした闘いしか知らなかった彼は、道着の攻めに全く対応出来なかったのである。

だから裸だけでなく、道着を着て組技を行わなければならない。この試合を見て私は痛切にそう思った。

しかし、今回の巌流島では、全く逆のパターンが起きた。道着着用に慣れた選手はレスリングや修斗、相撲のように上半身裸の相手にコントロールされ、全く自分の闘いパターンに持って行けず敗退した試合がいくつもあった。

整理すると、自分は服を着ていても相手にコントロールされない防御力は必要。同時に相手の服が掴みにくい状況でも技をかけられる攻撃力が必要。その両方が求められるのが武術である、と定義できるかもしれない。

格闘技は裸、もしくは道着着用のどちらか一方の技術に長けていればいいが、武術ならばどちらの局面も想定する必要がある、と言うことだ。

そうすると、今回の巌流島のトーナメントルールは格闘技的にはフェアではなかったかもしれないが、武術的な能力を査定するには極めて興味深い場であったと言える。

「武術的とは何か?」を問い直すきっかけを与えてくれた貴重な場であったことは間違いない。

9.17巌流島のレポートはコチラ⇒『全日本武術選手権 in MAIHAMA』