金足農業と巌流島。平成最後の武道エンターテイメント
お題………9.17 刃牙の世界を制するのは誰だ!?
今年の甲子園で旋風を巻き起こした金足農業。
これがなんとも異質な存在であった。
何か異なる時空からやってきた少年たちを見ているような。
時をかける少年を見ているような。
この異質さはどこから来るのか?
それは彼らの一見どうでもいいような独自の「こだわり」ゆえだろう。
バックボーンであり、アイデンティティであり、
哲学であり、美学であり、生き方という、こだわり。
それらはどうでもいいようで、絶対にどうでもよくないもの。
金足農業を見ていると、決勝戦に進むために何かをしたというよりは、自分たちがやりたいことをやっていたら、結果的に決勝まで来ていた、というふうだった。
もちろん勝つことは重要だ。
ただ、たとえ勝てないとしてもそれ以上に大切なものがあるんだ、というその「何か」。
この異質感、きらいじゃないなぁ。憎めないなぁ。
と思っていたら、なるほど、そうか。巌流島だ。
ここで語っていることが、まんま巌流島の存在意義の話と一緒なんである。
金足農業と巌流島。ともに異形の者。
そこに人々は真に大切な何かを感じとった。
(巌流島の魅力にはまだまだ気づいてない人が多いだろけど……)
負けた金足農業のほうが、連日メディアに取り上げられるこの状況を「不公平ではないか?」と指摘する向きもあるだろうが、だって『おもろい』んだから、しょうがないじゃない。
この現象から「記憶に残るストーリーが求められる時代」だということを再確認した次第だ。
不特定多数の人々にさらされる時点で「おもろいか、おもろくないか」という、もう一つの重大なテーマを突きつけられているわけである。
はっきり言って「勝ったからそれでいいじゃないか」なんてのは怠慢である。そんなものは「あっそ」の世界である。
これは巌流島に出場する選手の方々にも、もう一度よく認識していただきたい。
もう21世紀だ。もう昭和どころか平成さえも終わる。新しい時代を生きる我々は、さらなる高みを目指そうではないか。
というわけで、この夏、金足農業が我々に最高の武道エンターテイメントを見せてくれた。
次は9.17巌流島が、平成最後の武道エンターテイメントを見せつける。