沖縄拳法空手・種市純也がクンタップ戦を受けた知られざる秘話!
お題………9・2巌流島・舞浜大会の見所
今回、巌流島に出場することになった背景。心境。作戦。
今、僕はチームKIKUNOのメンテナンスとスパーパートナーをしている。
そのご縁で菊野選手からこのお話をいただいた。
対戦相手のクンタップ選手はラジャやルンピニーでも活躍され、権威あるWMCのベルトも奪取した尊敬すべき選手だ。
「よくそんな選手との試合を受けたな」と言われる。
かたやこっちは格闘技が趣味の一般ピーポー。
呆れてしまうくらいの差だ。
仮に友人や知人が同じことをやろうとしたら本気で止めると思う。
「お前、バカじゃねーの」。そんなことも実際言われている。
バカにした顔で「怪我すんなよ」ともよく言われる。
ただ、どうしても受けたい理由があった。
僕は10年少し前に、一時期あるキックボクシングジムの職員をやっていた。
当時は毎日がキックボクシング漬けの生活だった。
そのジムにはキックボクシングを初めて2年でラジャダムナンスタジアムのランキングに入った大輝選手と佐藤昭彦選手、武田一也選手などがいた。
彼らに何回もぶっ飛ばされ、才能の違いも感じ、僕はキックボクシングから離れ専門学校に入り直した。
当時SRSという格闘技番組で彼らが特集されたりしたのを、悔しくて半べそかきながら工場の夜勤をしていた。
ただ、彼らよりも先に社会に出たおかげで社会人としては少し先を行けた。
僕は友人たちによく嘘をつく。
「あん時、キックを早めに見切りつけて良かったよ。おかげで今人並みに生活ができるもん」
本当は燃え尽きるまでやった彼らが、うらやましくてうらやましくて仕方ないくせに。
まだ、燃え尽きられないから、沖縄拳法の門をたたき修練をした。
コアズにも通いフィジカルトレーニングもしている。
燃え尽きられないから、菊野選手とスパーをしたりする。
そんな日々の中でこの話を頂いた。
なんの縁か、上記の大輝選手・佐藤昭彦選手、武田一也選手はクンタップ選手に負けている。
勝てば、仇を討つことにもなるし、自分自身の中での区切りにもなる。
断る理由はどこにもなかった。
「プロにもなれなかった男が沖縄拳法を修行して、ムエタイのチャンプに挑む!」
なかなか面白いと思う。
また、あの時キックを離れた理由の一つに、「お金をかけてトレーニングすればあいつらに勝てるんじゃないか?」という思いがあった。
幸いここ何年かはお金をかけて稽古ができた。
試合後にあわよくば、あのとき半べそかいて泣いていた自分に言ってやりたい。
「お前は間違ってない。あいつらが勝てなかったやつに勝てたんだぞ」と。
山城先生は存在自体が奇跡! 作戦は高山vsドン・フライ!
まず、菊野選手について書こうと思う。
彼との付き合いは沖縄拳法の入会時期がほぼ同じで、同い年だったことから仲良くなった。
時期でいえば、彼が北岡選手と対戦する少し前くらいで、ちょうど彼に一人目の子供が生まれたすぐ後くらいだったと思う。
彼に対しての見方が変わったのは、北岡選手と対戦した直後だった。
前述したように子供も生まれたばかり。いろんな理由で彼は負けられない試合だった。
その「超打撃と超寝技の試合」と銘うたれた試合で彼は敗北した。
試合後に僕は山城先生をお連れして、彼の控室を訪ねた。
山城先生の顔を見た瞬間に、彼は深々と頭を下げた。
「先生のおかげでここまで闘えました。ありがとうございました」
正直震えた。
人は弱い生き物だ。
「できもしないことを教えた」と逆恨みしてもおかしくない。
そういう人間も多々いる。本当に負けられない試合だったからなおさらだ。
「本当にすごい男なんだな」と思い、そこから色々サポートするようになった。
次に山城先生について書こうと思います。
弟子でもある自分がこういうことを書くと非常に気持ち悪いのですが、この方の存在が一つの奇跡だと思っています。
競技空手では、ナショナルチームから首を切られる寸前の選手をエース格にまでに鍛え、先日のJFKO(フルコンタクト空手)でも優勝者を指導している。
総合格闘技では、菊野選手の活躍をみればよく分かると思います。
古流の「手(ティ)」を継承し、発展させ、競技空手・フルコンタクト空手・MMAのチャンプを教える先生。
本当に十分すぎるほど漫画の中の人だ。
また、その突きの威力は「交通事故のようだ」とみな口をそろえる。
余談までに、突き一発でみんな弟子になっている。かくいう僕もそうです。
また、理系出身なこともあり、指導内容もあいまいな表現はない。
ちなみに今度の僕の試合の作戦は「高山選手とドン・フライ選手みたいな試合をやれ」と言われたとか言われてないとか。
当日ご確認ください(笑)。
9・2巌流島の大会情報はコチラ⇒
『巌流島 ADAUCHI 2017 in MAIHAMA』