噛み合わない試合こそ興行の鍵! その意味でイチオシは「シュレックvsアンブリッツ戦」
お題………1・3 巌流島の私的な見所とは?
正月には日本の恒例の行事、初詣がある。初詣は神様に挨拶に行く為にあるのかな? 正月3日の巌流島興行にも神様は来るのかな? そして武道や格闘技にも神さまはいるのかな? 噛み合わない試合にこそ、実は興行の鍵が隠されている。最近そんなことを僕は感じたりする。噛み合うとは「神会う」とも書ける。強引ですが(笑)。神様と会って宿ってもらう。いつもそばに神様がいてくれる為には長い時間がかかる。始めてすぐに神様が宿ってくれるなんてことはない。
歴史のある競技には神様が宿っている気がする。だから歴史ある競技は噛み合う試合こそ素晴らしい。相撲やボクシングでは噛み合った選手同士の試合が最高の試合になる。総合格闘技にも巌流島にもまだ歴史はない。総合格闘技は20数年で巌流島なんて数年でしかない。神様は宿ってもいいのかどうかと様子を見ているのかもしれない。
総合格闘技が大きなイベントとして成立し始めた時代にこんな思い出がある。興行の演出に凝り始めた時代。うちの興行はこれだけ試合前に演出のリハーサルをする。これが自慢で興行の規模を表した時期がある。延々と緻密に繰り返される試合前のリハーサルを見て、格闘技もここまで来たかと感慨深くなった思い出がある。
選手が入場するタイミング、映像と音楽、ラウンドガール、何度もリハーサルを繰り返し本番に備える。総合格闘技が黄金期を迎えた一時代前の話。そんな話を大相撲の旭道山さんにしたことがある。帰って来た答えは、全くの意外な話だった。
大相撲はリハーサルなんてしない。そんな物は必要ないのだと聞かせてもらった。長い歴史とテレビ放映の前にも午前中から延々と繰り返す取り組み。だからそんな事はしないでも間違える者などいないと言う。
「これが相撲ですよ。国技の強みなんですよ。巌流島も相撲に学ぶと良いんです」
「本当に長く続けて大きくなる気があるなら、相撲に学ぶべきことは沢山ある」
大きな体で笑顔で語る旭道山さんは、自信に満ちた顔つきだった。
自分が育った場所生きた場所である相撲の世界に絶対的な自信を持っている顔つき。あれから1年以上が過ぎて、その意味が少し見えてきた。
神がまだいない興行では“噛み合わない試合”こそが面白い。神様がまだ宿っていない場所には、神様が時おり様子を見に来る。そこに必要なのは噛み合わない試合なのかもしれない。かみだけに。ものすごく強引ですが(笑)。噛み合わないごつごつした試合を繰り返すうちに、見に来た神様が気にいって、やがてそこに神が宿るのかもしれない。初期の総合格闘技、UFCもリングスもその他の興行も、噛み合わない試合こそが面白い試合だったと思いませんか? 巌流島のコンセプトもそこにある気がします。
1月3日の試合の鍵は、噛み合わない試合が多いこと。そう考えるといいカードが並んだと思います。
空手対柔道。総合にならない異種格闘技戦。メインの2人は総合に逃げないで、自分の技を出して勝負するでしょう。「総合格闘技に逃げる」とは初めて聞いた言葉でしょう。僕も初めて聞きました(笑)。書きながら勝手に出てきました。今回のブログは強引なのです(笑)。空手や柔道の選手が総合の技術を使えば勝つ可能性は高くなる。
でも、それでは自分のやっていることが総合格闘技に劣ると認めることになる。
もっとも2人の試合は純粋な空手と柔道ではない。「総合の技使ってるじゃん」
そんな突っ込みが聞こえてくる気がする。書きながら勝手に出て来たので、その辺りは御勘弁を。強引に納得してください(笑)。
イメージの問題なんです。総合に頭を下げるのか、飲み込むのか。おっ、飲み込むっていう言葉も勝手に出て来たぞ(笑)。総合に同化した空手や柔道には魅力がないって思いませんか? だったら総合をやりなさいって思ったりしませんか? 総合格闘技をやるのではなく、総合を飲み込むようにして空手や柔道の実力を上げていく。そんな空手家と柔道家ってかっこいいと思いませんか?
2人の試合には逃げないで飲み込んだ新しい空手と柔道の魅力を感じます。だから前回の2人の試合は輝いた。総合に逃げないで、自分の格闘技のジャンルの技で勝つ。そんな意地っ張りが、お客さんには輝いて見える。
そして、僕の一押しは「関根シュレック秀樹VSジミーアンブリッツ」です。
ゴツゴツした噛み合わない試合になる予感がする。2人は体力があるから、ゴツゴツぶつかる。決してスイングすることがないような、ゴツゴツとした試合になる予感がします。何が起こるのか分らない。もしかしたら一瞬で終わるかもしれない。グチャグチャした試合になってしまうかもしれない。そこに想像を超えた何かを期待してしまう。
格闘技って予想を超えた何かを見せる物だと思います。格闘技だけでなく、多くのイベントは予想を超える物を提供するから、お金を払って見に来てくれる。歌舞伎などの伝統的な物は、伝統の中の安定を見に来る。歴史のある物には、神が宿るかもしれない。歌舞伎などは100年前と同じことをやっている。観客は時空を越え、別人の中に潜む100年前と同じ神を見ているのかもしれない。
歴史のない巌流島はこれから歴史を作る。歴史が出来上がる過程には、神様はまだいない。出来上がっていない物が、出来上がる過程を見るのはとても楽しい。だから神様も見に来てくれる。次回の巌流島にはゴツゴツしたカードが並んでいる。神様に会うには「噛み合わない試合」がいいんです。最後まで強引ですが(笑)。