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【第1回】私が「猪木ボンバイエ」=「谷川組」に巻き込まれた理由

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文◎宮田充(KNOCK OUTプロデューサー)

文◎宮田充(KNOCK OUTプロデューサー)

 

101日、私は宮崎県にいた。延岡で行われるキックボクシング大会でリングアナの仕事があり、早朝便で羽田から宮崎へ向かっていたら、飛行機に乗っている間にアントニオ猪木さんの訃報が報じられていた。宮崎に着いてケータイを繋げてビックリしていたら、谷川さんから着信。

「例のボンバイエどうしようかなぁ」と、ただただ呆然とされていたことを覚えている。

谷川さんが『猪木ボンバイエ』的な大会をやろうと考えていることは、8月ぐらいから聞いていた。「令和猪木軍を作ってさあ、猪木さんが観ている前でオーディションをやったりして、新しいスターをね」なんて意気揚々と語るのを聞きつつ、「猪木ボンバイエなら年末か。じゃあKNOCK OUTの興行も年内は毎月あるけど、できることは手伝おう。あっ、猪木さんにビンタしてもらえるかな?」なんて呑気に考えていた。

で、まだ具体的な動きはなんにもない中での訃報。ここから年末まで3ケ月もない。お通夜とか、葬儀とか、これからいろいろあるだろう。これはないなと思った。常識的に。

それからわずか数日後。谷川さんから「ちょっとココまで来れる?」と、都内某所の住所が送られてきた。とりあえず、わけも分からず行ってみたら、後の12.28両国大会主要メンバー、いわゆる「谷川組」に加わる方々が集められていて、その中には知っている人、知らない人もいたけれど、皆さんに挨拶するかしないかのうちに、谷川さんの口から『INOKI BOM-BA-YE×巌流島』の構想がイッキに語られたのだった。

谷川さん、やるんだ

で、またそれから数日後。午前中に大会ロゴ。午後に大会主要メンバーの組織図が矢継ぎ早にLINEで届いた。開いてみたら、けっこうなポジション、しかも数か所に(勝手に)私の名前があるではないか。「ここは全部、宮田さんがやってね」みたいに。あくまでも事前の根回しはない。

で、次のLINEで「今日また来れるかな?」。谷川さんには確かに全日本キック時代からお世話になっており、30年近くの思い出がある。しかしだ、これは出来ること、出来ないこと、最初にハッキリ言わなきゃいけない。そう、大事なことはちゃんと会って話すべきだ。そうして、バタバタと『谷川組本部』に行ってみると、あのポスター3部作が特大サイズでドーン!と並べて貼ってあった。

猪木巌流島_3

「どう?カッコいいでしょ!?」「うわっ、メチャクチャカッコいいです!この猪木さんが大木金太郎に頭突きされてる写真、端の豊登さんも含めて最高です!」

いま思えば、ここで猪木さんの3つのポスターを見てカッコいい!と思った瞬間が、私の魂のゴング鳴るだったのかもしれない(実際の猪木さんは、古舘さんがこのフレーズを叫んだ直後に、ホーガンのアックスボンバーを食らって奈落→舌出し失神したが)

つづく

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