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64歳の私が闘うなら5秒前後で決着をつける。いわゆるとてつもなく痛い思いをさせるということです。|第一回(後編)

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競技化のポイントは反則技から決める

現在、『巌流島』サイト上で活発に議論されている「巌流島のルールを決めよう!」ですが、巌流島実行委員会のメンバーの皆さんの個人的見解もできる限り紹介していきたいと思っています。第一回目は倉本塾の倉本成春塾長にお話しをうかがってきました。今回は後編をお届けします。
(聞き手/谷川貞治)

他流試合の本質は「ルールがない」ということ

—— 突っ込んでくる相手にはパンチもなかなか当たらないということですが、蹴りもそうですか?

倉本 蹴りもです。昔、ミルコVS藤田戦で、藤田が胴タックルに行って足を掴みにいった時にミルコが逃げようとしてヒザが上がったことがありましたね。それが、たまたまここ(左眉横)に当たった。最初からあれほどきれいに当たることは、ミルコも想定外だったはずです。(藤田が)入っていく時に両手でいったから。まあそれも一つの展開の中で起こりえることなんですけども、何回もビデオを見たら分かると思います。あれはミルコが蹴ろうと強く意識したんじゃない。そのタックルから逃れようとしただけのことなんです。

—— なるほど。ボクサーが打撃をかわしているのは、相手が殴ろうとしているから、それをずらしているだけということですね。

倉本 そうです。打撃をかわすというのは、不確定要素です。人間が打ってくるやつを見ながら避けていたら、だいたい当たります。私がボクサーに打ってみろと言っても当たらないのは、打つという行為を違和感としてとらえているから、相手のパンチを読んでいるだけなんですよ。見ながらだったら無理ですから。

—— じゃあ、そういうふうに打ってくる人に対してドーンと突き飛ばしたら……。

倉本 まず、当たらないです。当てにくいですね。

—— 当てても体重が後ろに下がっていたりとか、バランスを崩したりとか。

倉本 カウンターを合わせるのは、本当に難しい。一撃必倒という言葉がありますけども、元来、一撃というのは、剣の世界の話なんですね。殴るという行為の一撃というのは元々なくて、一撃というのは、空手の世界でも今は一撃とか使いますけど、元来は剣の世界の言葉で、スパーッと斬り殺すことを一撃というんです。それはご存じでしたか?

—— 知らなかったです。

倉本 こういうのを知っておかないといかんですよね。例えばマイク・タイソンにジッと立っておくからと言ったら、一発のパンチで倒すのは簡単だけど、「殺してみろ」と言ったら、彼は「ノー」って言いますよ。なぜか? 自信がないから。人の命というのは1+1=2のようには死につながらないからです。意外なところでチョンと当たっただけで死んでしまう場合もある。でも、一発のパンチで殺せるかと言ったら、これは分からない。もろくて弱い人体のありようですね。だから、一発で殺せるかどうかと聞いたら、「ノー」というでしょう。

—— 確かに、タイソンでも確実にパンチで人を殺せるかと言ったら、「ノー」でしょうね。

倉本 私なら「イエス」と言います。指一本でこと足りる。

—— んあ〜。先生、その差はなんなんですか? タイソンは殺せないといって、先生は殺せる。

倉本 人間がなぜ死ぬかということを医学的に知らないからです。医学的に知っていたら、指一本で人を殺すことは何も難しいことではないんです。それは特殊な技術ではなくて、だれでも、それこそ女の人でもできることなんです。ただ、そういうことを言わないだけですね。だから、どの状況では何が不利で、どの状況では何が有利かっていうのは、お互いがよく分かってルールを設定しなければ、不公平が生まれてくる。なんだ、結局は異種格闘技と言いながら、こっちに勝つようにルールが設定されているではないかと。こういうことになってしまうんです。そもそも、「他流試合」の意味って分かりますか?

—— 他流試合! うーん、お互いにやってきた格闘技の技術を試し合うということですか?

倉本 昔はよくボクシングVS空手とかね、キックボクシングVSレスリングとか、柔道VS○○とか一般受けするじゃないですか。競技の本当の本質をよく知らなければ、何VS何というのはいつの時代もウケてきましたよね。

—— 今もウケると思います。

倉本 だけど、見てる人は他流試合の本質は分かってない。一般の人は「あれはもともと○○をやっていた人」として見ていますが、実際は例えばK-1だったらK-1で同じルールで闘っているわけです。他の異種格闘技でもそのルールの中で同じことをやっている。ということは本当は何VS何とはならない構図なんですよ。例えば柔道VSボクシングってなった時に、柔道家はグローブをはめないだろうし、道着を着てそれを活用して首を絞めたりとか、帯を利用して首を絞めたり、腕をまきつけて首の骨を折ったりとか、そういうことをするはずなんです。つまり、柔道家がグローブをつけてリングに上がり、ボクシングのルールで闘うことが柔道VSボクシングという構図にはならないということです。でも、今まではそれでやってきてましたからね。ただし、それは真の「他流試合」ではない。他流試合というのは、自分が学んできたあらゆる可能な技術を、制限なくお互いが使い合ってこそ、成立するものです。だから、他流試合の本質は「ルールなし」でないと成り立ちません。ルールがないということは、すなわち真剣勝負、命のやりとりをするのが、他流試合の本質なんです。

—— 他流試合というのは、真剣勝負で、基本的にルールがないと。

倉本 ルールは作れますよ。でも、真剣で他流試合をするとします。春日流と向井流が闘う。新陰流と示現流が闘う。そういった時に「貴殿は私の頸動脈を切ってはならぬ。その代わり私はあなたの胴をはらうことはしません」。こんなこと言ってたら斬り合いにならないでしょう(笑)。真剣勝負というのは、真剣の他流試合というのは、命の取り合いということですから。命をとるのに「ここ斬ったらアカンよ、痛いから」とか「ここ斬ったら出血多量でヤバいから」とか、それだったら最初からやめとけばいい。

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—— 先生は、いわゆる武術というのは他流試合を想定していると考えているんですか?

倉本 そりゃ、そうです。武術というのは、武術の根底もしくはボクシングでもなんでもそうですけど、根底というのは人の命を奪うことにつながっていく行為なんです。だけど、それは危ないからやってはいけないとルールを定めたんです。それはそれで凄くいいことなんですよ。だけど、何VS何の構図というのは究極的には存在しえないんです。

—— 命のやりとりになるからですね。

倉本 はい。例えばルールの中であったとしても、あなたは柔道が達者だから組んでもいい、ただし、3秒までとか、5秒までとか。そんな映画のシーンじゃあるまいし、触れた瞬間に貴様はもう死んでるとか。人間がいくら達者でもね、ジャンルは違っても運動能力は高くてもですよ、3秒や5秒で組み技や関節技が一瞬で決まるのは基本的にありえない。なのに3秒にしたり、5秒にしたりしてみたりする。30秒にしたら、30秒は組み技系が有利に働くから15秒にしようか、いや15秒は長いんじゃないか? って気が付いたら5秒くらいになってた。何のための5秒かよく分からない。ということは、打撃を主に出したいがゆえに、30秒が気が付いたら5秒になっていたということになってしまう。結局、どっちに有利に働くかということなんです。こういうことを一般の方は分からないから、面白いのかどうなのかっていう感じになるんでしょうね。

—— なるほど。先生は究極の他流試合で真剣勝負だったら、だいたいどんな試合展開になると思ってますか? もし、先生が闘うとしたら。

倉本 私がやったとしたら? それは分からない。相手によるから。

—— ほお〜ん。じゃ、勝負は長くなりますか?

倉本 もう私、64(歳)だから。やはり5秒前後で決着つける、もしくは10秒以内に決着をつけないとダメでしょうね。ということは5秒以内、10秒以内となった時はだいたいやることは決まってくるんです。それはここで言えないですけど。

—— それは5秒以内に殺すということです?

倉本 殺す……、息が出来なくする、呼吸困難にする、いわゆるとてつもなく痛い思いをさせるということですね。痛い思いをさせるというのは、基本的に戦意喪失させるということ。私なら、そういうことを狙いますよね。それが武術的な考え方ですから。そうしないと、例えば若い人と同じように心肺機能が一緒じゃないのに30秒も1分もかけて闘っていたら、技を使い果たす前に自分が酸欠になりますよ。人間というのは面白いもので、どんな闘争心がある人間でも酸欠になると「好きにしてくれ」ってなるんですよ。そうなるとヤバいですからね。

競技という世界の中で身体能力を高めていくことはできる

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熊掌(ゆうしょう)という、体当たりしてくる相手に対しての構えも見せて下さった

—— 先生の話を聞いていると凄く分かりやすいんですけど、知れば知るほど、究極の武術の競技化って難しいんですね。

倉本 それは、難しいですね。

—— 先生はその競技化についてはどのように考えているんですか? 競技をやっているほうが技術が伸びる可能性もありますよね?

倉本 ありますね。だから分けないとだめでしょうね。武術的な要素というのは限りなくやらなければならない。これを求める一つの道がありますし。一方で、競技という世界の中で身体能力を高めていく。身体能力操作というか、能力を高める要素としては同じようなものなんですけども、やってはいけないものとやっていいことを明確にして意識して分けていくと、身体の鍛練も変わってきますよね。だから、私の指なんかは握力はないけども、指の形をつくって指が立ってくると少々力の強い人間でも、私の指を変形させることはなかなか難しいんです。そういう鍛錬をしていますからね。こういう親指なんかでも、のど仏に入ったら伸びたりしない。この形のままで引き裂くことができます。だから、そういう鍛錬はしていますよね。それは何に繋がるかっていうことをいつも考えながらやってます。これ(親指)が目に入っても一緒です。目に入っても変形することはない。このままの角度で目をえぐりますから、こういうのが武術的な要素としての身体を高めていくということですね。だから、組まれたり、つかまっても(相手の)力を出ないようにしてしまったりとか、思いもしない激痛を味あわせたりするというのは、そこから離脱して自分の得意とするもので仕留めていこうという、流れですよね。だから、私は心肺機能を考えた場合に5秒以内で決着をつけるぐらいにしとかないとダメです。できる、できないは別ですよ。その考えの元に自分を鍛える。今も片手でダンベル150〜170キロを引き上げるトレーニングをしてますからね。

—— 凄いですね、とても無理ですよ。

倉本 自分の弟子達にも言うんですけど、競技であれなんであれ、人間闘う時には自分の鍛えた筋肉を使うなとか、意識するなということをよく言うんですよ。それをやると必ず限界がおとずれると。筋肉というのは無意識に使われたり、後押しされて効果を発揮するものです。だけど、力をつける、スピードをつける、強弱ができる、心肺機能を高める等々の部分は、死ぬまで怠ることなく続けないといけません。よく一定年齢になるとその鍛錬は辛いから、やらなくなってしまう。「長くやってると柔よく剛を制すじゃないけども、そういう身体操作ができるようになるんだよ」って仰る先生たちもいるけども、実際にはそんな人間はいないんです。達者な身体の使い方というのは若いときに身につけないと、歳いって身体が不器用になっているのに長いことやったからといってそんな能力が身につけられる人なんか一人も見たことがない。だから、私が若い人に言うのは、「若い時に難しい技や術をたくさん身につけて出来るようにしなさい」と。歳いったらできなくなります。だから、生きてるだけで特殊な学問が身についたりね、特殊な技術が身についたりとかよく昔からご年配の方がおっしゃるけども、それは私からしたらとんでもない嘘ですね。それは自分の権威の維持のためにそういうことを言ってるだけ。私からしたら、「本当ならば、それを証明してくれ」って言いたいですよ。あなたいくつからできるようになったんだって。以前もあるジャンルのまったく違う投げ技の先生が来たんです。その方は有名な先生のお弟子さんだったんですけど、「ちょっと技をかけてみなさい」と言ったら、私のそんなに技のない塾生に技をかけたんだけど、全くかからない。「あなたさっき私に大概の人にはかかると言った。大概の弟子にはかかるけど、大概の他人にかからないのはいかがなものか」と言ってしまったのです。そして、できない理由を全部説明してあげて、出来る理論を本人が理解したらポーンとできるようになった。そういうことなんですよね。自然に身につくなんてありえないんです。

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—— ほ〜ん。では、先生は競技化はどのようにやってるんですか? 競技化はあまり考えていないんですか?

倉本 私の考え方からすると、競技化というのは非常に難しいんです。難しいので、私は競技というよりも、一つは自分がこの三十数年間研究してきた身体能力を上げるための鍛錬というか、人間にはまだ使い切ってない身体操作があるんですよ。それをやることでよりスピーディーに、より力強く、より複雑なところから脱出したり攻め込んだりできる身体の不思議さに自分は取り組んできたんですね。今はだいたい250項目からの身体操作のありようを研究して、身につけています。それを武学として、武の学問としているわけですけれども、それらの理論とエキスを身体で表現できるようにすること。そしてその次に「THE PROTECT」という護身術を体系化して教えています。秋葉原の無差別殺傷事件など実際にそういうことが頻繁に起こる世の中で、多くの人が使える使えないは別にしても“使える武術”としてのエキスを盛り込んだ「THE PROTECT」。そういう護身術を通して、より高度な身体操作がはかれるようなものを、競技として皆さんのためにやっていってあげたいなと思っています。動脈を斬ったり首を噛み斬ったりということはできない。言ってみれば、異種格闘技をどうやって成立させていくかの難しさと同じで、私の考える延長線で競技化するというのは、非常に難しいんです。だから、定めたものの中で、より高度な技術が、より高度な身体操作ができているか、それが何かの拍子に使えるものになっていくのではないか、使える身体になっていくのではないかと考えているんです。そういう結果をもたらせるべく「競技」にしていきたいと思ってます。ただ、少し時間はかかると思います。しかし、より現実的な護身術にしていきたいと思っています。

—— なるほど。今日の先生のお話は、考え方や議論の指針になりますね。他流試合の意味とか、反則から決めないといけないとか、究極はこうだけど、実際には何を入れるかとか、本当に勉強になりました。先生、またお話しを聞かせてください。今日はありがとうございました。