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「闘魂とは己の魂に打ち勝つこと。そして闘いを通じて己の魂を磨くこと」by 猪木

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文◎“Show”大谷泰顕

文◎“Show”大谷泰顕

猪木祭りに集まった即席チームの必要以上の頑張り

INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in 両国(猪木祭り)』(20221228日、両国国技館)から、早くも1週間が過ぎようとしている。

 その間、大晦日にはRIZINがさいたまスーパーアリーナで、元日にはプロレスリング・ノアが日本武道館で大会を行い、昨日は新日本プロレスが東京ドームで恒例の年明け一発目の大会を開催した。

 そのそれぞれが、カタチこそ違えど、昨年101日に亡くなったアントニオ猪木さんの追悼の意味合いを込めた大会になるわけだが、その先陣を切って開催されたのが『猪木祭り』だった。

 思えば、半年前に『猪木祭り』復活構想を、誰よりも早く谷川貞治プロデューサーから聞かせてもらっていた自分でも、とくに最後のひと月は、毎日が目まぐるしすぎて、細かな部分はもちろん、全体像すらきちんと把握しきれていたのか。それすらわからないまま大会当日を迎え、瞬く間に終わってしまった。まさにキツネにつままれた雰囲気のまま、一気に時間が過ぎていたような大会だった。

 結果から言えば、世の社会人にとって『猪木祭り』開催日の1228日は、いわゆる仕事納めに当たるパターンが非常に多かったこともあり、大会開始直後はとくに客足が伸びずに寂しいスタートではあったものの、終盤以降は徐々に客足も伸びて、最後はどうにか格好がつくところまでは持っていけた印象だった、といえばいいだろうか。

 とはいえ、A猪木が亡くなってから初の追悼大会にしては準備期間を含め、始動するのが遅かった。もちろん、それ以外にも反省点を挙げればキリがないが、最も悔いが残る部分があるとすれば、本格的に動き出すまでのスピードの遅さ。その一点に尽きるだろう。

 そう考えると、先に挙げた『猪木祭り』以外の三つのイベントとの最大の違いは、これまで継続的に大会を開催してきているか否かだったが、実はこの違いは決定的だった気がする。

 それでも、谷川プロデューサー陣頭指揮の下、それぞれがそれぞれの役割を精一杯果たしていたとは思う。例えば、会見を仕切っていたKNOCK OUTの宮田充さんの司会はうまいよなーとか、紹介映像を担当した坂田栄治さんは、さすがに地上波のゴールデンタイム番組を長らく担当されていたから、わかりやすくつくるよなーとか。その他にも大会直前は何日も徹夜作業をしながら関わってくれた方々が何人もいた。

 要は、各々が単なる仕事の枠を遥かに飛び越えて『猪木祭り』を成功に導くべく、全力以上の力を注ぎ込んでくれた。その点は、自分ごときが偉そうに言える立場ではないのを承知の上、関係各位に心から感謝の言葉を申し上げたいと思う。皆様、本当にありがとうございました。

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予定調和のない、猪木の世界のアタリハズレ

 さて、ここからはリング上に目を向けて行きたいが、ここで伝えたいのは個々の試合の話ではなく、概論というか全体論。いや、それ以前の話になるだろうか。

 というのも正直な話をすると、自分は今回の『猪木祭り』で目撃するまで、『巌流島』という大会を見たことがなかった。そのため、谷川プロデューサーが、自分に『巌流島』の面白さを熱く語っても、本音を言えば、よくわかっていなかったと思う。

 それは自分だけではなく、猪木元気工場(IGF)の関係者にしても、令和猪木軍の小川直也総監督にしても同じ思いだったに違いない。

 確かに、谷川プロデューサーからの『猪木祭り』をプロデュースする条件は『猪木祭り』のなかで『巌流島』をやることだったのかもしれないが、それがどういうことを指しているのか。実際に大会を目撃して、ようやく理解できた気がした。結果から言えば、それだけ『猪木祭り』と『巌流島』には親和性があったが、大会発表当初のアレルギーの強さはかなりのものだった。

 また、自分はIGF201015年に開催してきた『猪木祭り』の続きをやればいいと思いながら関わっていた気がするが、谷川プロデューサーは、自身が関わった2000年~02年の『猪木祭り』の続きをやろうと思っていたような節があり、その点での行き違いというか、感覚の違いは随所にあったようにも思う。

 それでも、結局は「出たものがすべて」。それが絶対的な事実になる。それは少なくとも自分の思う、A猪木の世界観が「陣地取り」に起因していると思っているからだ。

 はて、いったいなんのことかと思うなかれ。

 例えば、今回の『猪木祭り』のクライマックス。「1、2、3、ダーッ!」の音頭を取ったのは、小川総監督ではなく、藤原喜明組長だった。それは、その場の空気感を察した藤原組長が、段取りを度外視して取った行動だったけけれど、A猪木の世界ではそれが許される。そういう場面を少なくとも自分は何度も見てきた。

 しかしながらそうなると、空気を読んで取った行動が、是と出る場合とそうでない場合が出てくる。つまり、時と場合によっては、吉と出ない場合もある。その一か八か感こそが、A猪木の世界観を見ていく面白さでもある。

 言い換えるなら、決して予定調和では終わらない。アタリ・ハズレのある世界。

 しかも自分の知っているA猪木は、仮にハズレが出ようとも、「起こったことはすべてよし」という言葉を用いながら、すべてを次につなげるべく努力を開始する。そんな尋常ではないエネルギーを持った方だった。おそらくそれはA猪木が長年、興業という人気商売の世界を生き続けてきたからこそ行き着いた境地だったように思う。

やって良かった猪木年表、等身大パネル、リズムタッチ

 実は今回、わずかな時間ながら、さまざまなサプライズを企画し、動いては断られるを繰り返していた。それは谷川プロデューサーが自身のTwitterアカウントで公にしていたとおり、中継のMCに沢尻エリカ氏やタッキー氏を起用しようとしていたことだったり、ゲストにビッグバン・ベイダーを帯同したビートたけし(北野武)さんを呼ぼうとしていたことも含め、最後の最後までひとつでも多く、A猪木的なことが実現できないものか。それを試行錯誤し続けた毎日だった。もちろん、なかには泣く泣くお断りを入れさせてもらった企画もある。

 また、今回の自分は基本、谷川プロデューサーの補佐的な役割に終始していたけれど、それ以外は50メートルにも及ぶA猪木年表と、A猪木が過去に闘った格闘技戦の相手(18名)の等身大パネル、それからアントニオ猪木公式YouTubeチャンネル『最後の闘魂』を担当した。

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 この3つだけをとっても反省しきりだが、それでもそのどれもがA猪木の過去と未来を形作っていくと思えば、自分ごときが手がけてよかったのかは別として、率直にやってよかったと思う。とくに年表に関しては永久保存版的なものができたし、次回、お披露目する場があれば、さらにブラッシュアップできることは確実だろう。

 実際、年表と等身大パネルは、会場に足を運ばなければその大きさや文言のすべてを目撃することはできないし、まさかキム・クロケイドの等身大パネルが存在することなんて、当の本人ですら、いまだに信じられない話ではないかと思う。

 さらに、他にやってよかったと思ったのは、休憩時間中、会場内の大型スクリーンで流された、過去にA猪木が出演したCMだった。とくに令和の今、昭和の時代にお茶の間に流れていた『リズムタッチ』のCM(しかも完全版)が披露できたことは、思った以上に喜びがあった。

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 そう考えると、今回の『猪木祭り』で最も遊び心が表現されているのはその辺りだったと思うし、そこに関われたことは光栄に思える。

 ちなみに年表と等身大パネルは確認できないが、休憩中に流れた『リズムタッチ』のCMは、本日15日までは下記のプラットホームでも確認できるので、激闘の連続だった全11試合以外に、是非とも皆様の目で確認してもらえれば幸いである。

 ……ということで、果たして今回の『猪木祭り』は、A猪木の「闘魂」をどこまで再現することができたのか? そもそも「闘魂」とはいったい何か? その正体については、A猪木が引退挨拶(199844日、東京ドーム)でこう答えている。

「闘魂とは己に打ち勝つこと。そして、闘いを通じて己の魂を磨いていくこと」

 だとするなら、今回に関しては、確実にそれを実行できたと自分は思う。

 そして、最後に願望を込めて言えば、『猪木祭り』という大会は、マット界が総力を結集して開催しなければならない大会であってほしい。「猪木」の冠のついた大会は、本来そういう主旨の下に開催されるものだと、今回、深く関わってみてあらためてそれを痛感した。

 そんな前代未聞の大会は先述通り、下記のリンク先で本日15日まで見逃し配信中! 迷わず見ろよ、見ればわかるさ。いや、「見たくないヤツは見に来るな!」(by A猪木)

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