「私はテレビでオリンピックを一度も見なかった!」人の、オリンピック論とは?
8月30日(火)のブロマガ………お題「日本人とオリンピック」
正直、私はリオのオリンピックはテレビで一度も見なかった。だいたいよっぽどのことがない限りテレビは見ない。見る必要がない。ただしスポーツ新聞を宅配でとっていて、毎日、東スポを買うのでオリンピックの情報と結果はそれなりに入って来た。
しかし気持ち的には早くオリンピックは終わって欲しい。終われというそれしかなかった。だから私にはオリンピックについて語る資格はない。それなのに「日本人とオリンピック」について書けだと。書けと言われれば書く。今回、日本は史上最高のメダル数を取った? それはおめでとう。
だからさあ。あのドーピングというヤツ。あれさあ、さらに厳しくすべきだよ。徹底的にね。一網打尽にしろ。そうすれば日本人には有利。さらに多くのメダルを獲得すること間違いなし。日本人にとってのオリンピックのキーワードはドーピングだよ。それしかないね。逆にもしだよ。それに引っかかった日本人アスリートが出てきたら大スキャンダルになる。それって紙一重。ないとは言えない。諸刃の剣だ。
あとさあ、オリンピックを国別対抗で見る。考える。あれが面倒臭い。なんで国を背負う必要があるの? そんなものどこにもないよ。すべては個人、自分のためだよ。アホかあと言いたい。オリンピックもショービジネスの一つだろ。だから終わればハイ、それまでよの世界なんだよ。その瞬間、人々は忘れ去っていく。まるでかげろうといっしょ。そして何もなくなった。もう、誰もリオのことなんか話題にもしない。そんなもんさ。
しかもオリンピックって4年に1回しかないんだろ? 人間にとってその4年という時間がまずもったいない。だったら選手はテキトーにやれ。必死になるな。無駄だ。悲壮感なんて野暮の骨頂。最悪。負けたっていいんだよ。勝たなくたっていいんだよ。勝ちたいヤツが勝てばいい。メダルが欲しい? じゃあ、やれよ。やればいい。それに1回、世界一になったら2回も3回も世界一になる理由がどこにあるの? エベレストに2回、3回、登る人いる?
あ、テーマは日本人とオリンピックだったか? やっぱりこの原稿、書くべきじゃなかったかも。後悔している。自己嫌悪。体育会系、運動部会系の人とは私はもともと合わない。だから彼ら、彼女たちのことは無理。再確認した。私がオリンピックのことを拒否しているのは本能がそうさせているのだ。近づくなとね。4年後の2020年は東京で開催? その4年間で日本に何が起こっているか? そっちの方が怖い。絶対、何かある。何か起こる。その予感だけはある。