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mkei
No.012 2016/08/06 07:34
一口に武道と言っても二つの意味があると思います。
1 実戦性
2 歴史的価値
1の究極は今のブラジルを徒手空拳で闊歩する事でしょうが、それは無理でしょう。
むしろ発展途上国を先進国にする事こそ武道的だと思います。
戦後の焼け野原から高度経済成長させる為に日夜頑張った名も無き労働者の先輩の方々こそ武道家だったと思います。
危険な所に行かない、今住んでいる場所を安全にする方が武道的だと思います。
そうなると2ですが、現状の巌流島ルールはこれだと思います。
打撃・パウンド・立ち関節技。
嘉納治五郎が柔道に入れたかった技術のみが集まったルールです。
当面それを熟成させる為にトーナメントをするというのは面白いと思います。
分業して熟成させて、何らかの形でその時の柔道と合体させれば嘉納治五郎が本当に思い描いた柔道が実現すると思います。
問題はそれが世間的にどれだけ需要があるかですが・・・
勝田 晴美
No.010 2016/08/05 13:19
世の中には、当然のことながら、社会的倫理に基づいたルールと、社会的倫理に基づいて居ないルールがあるが、もし新たに設定したルールを社会に根付かせたいならば、勿論社会的倫理に基づいて居なければならない。
社会的倫理に基づいたルールが持つ社会的役割は、社会に利益をもたらす変革及び教育である。そのルールを使用する人及び、その人の周囲の環境に有益なる影響を及ぼせない様なルールは社会に必然ではない故に、無意識下での情報整理の過程で排除されるので受け入れられないだろう。
ではルール運用コンセプトに武道の概念を取り入れたらどうなるか?
武道とは、流祖の作り上げた哲学を修行体系に盛り込んだものである。だから当然のことながら、その流派で行われる試合ルールや型をする事で、流祖の教えを無意識下で受けることになる。以上の理由により、各流祖の共通認識は何かという事を理解しなければ先に進まない。
端的に言うと、武道とは危機管理能力を学ぶことを目的とする兵法から別れた。
危機管理能力を養うには、修行者を、危機に陥った場合に基づいて、仮想現実的に理解させる教育ルールが必要である。
現代における士業の方は果たしてどの様な修練をしているのか?
体力を付けるための訓練は勿論であるが、その要は、緊急時における情報整理訓練と言われている。
つまりは、現代においても緊急時における情報整理訓練の重要性は引き継がれているわけだ。
これは、緊急時における情報整理訓練が有益である証である。尚且つ、情報選択の結果が社会的倫理に基づいて居なければ将にはなれない。
以上により、社会的に受けいられる武道をコンセプトとしたルールというのは、その利用者にとって、社会的倫理に基づき、尚且つ緊急時における有益なる情報整理へと誘導するもので無ければならないという事がわかる。
従って、そのルールに影響されて行われた結果、対象者を道路に突き飛ばしたり、崖から落としたり、橋から川に突き落としたり、階段の踊り場から突き落としたり、硬い地面の上で頭を踏みつけたり殴ったり、背を向けている相手を攻撃したりするものであってはならないという警鐘を、一武道関係者としては鳴らし続ける責任がある。
〔勝田 兼充〕
アニマルAKI
No.009 2016/08/03 21:55
求める方が間違いなのに、無視して殴ったら殴った方が悪者にされちゃいますからね。
明文化して禁じた方が良いと思います、誰得な習慣です。
会場は取り敢えず3000人規模の会場を満員にするのが目標ですかね。それ以上は地上波でバンバンCMでも流してくれなきゃ厳しいし。土曜の夜か日曜の昼が良いとは思いますけど。
ニコニコで無くても良いけど、ああいう無料のネット中継でファンと親密感が持てるイベントを復活して欲しいですね。
今大会の反省会とか事前の勝敗予想とかファンと一緒にして欲しかった、低予算の番組で良いので。
勿論、CSの番組も非常に大事なんですけど。
アニマルAKI
No.007 2016/08/03 12:33
ルールに関しては基本は現状ので決定で良いと思います。ただ、寝ての関節技の有り無しはマッチメイク毎に決めて良いと思います。
例えばアンブリッツvsセネガル相撲に関節技なんていりません。
でもクラブマガvsコンバットサンボ、空道vsプロレスラー、柔道vsシラット等の試合なんかはグランドの関節技も認めないとマッチメイクの魅力が半減すると思います、勿論時間制限付きですが。
実際問題、認めても短時間で極めるより、怒突き回す方が早いから殆どの選手は殴りに行くでしょうけど。
タートルポジション等を戦意喪失と見るかガードをしてると見るかは難しい所ですね。
レフェリーが目を見て判断するか、英語で戦えるか?と聞いて元気のある声で応えるか等で良いと思いますが。
異種格闘技戦だから当然、寝技素人が多い訳で、その選手が倒された時に出来る事はガードを固める事であり、ルールの有効活用です。
スタンドだけで戦うキックが見たい訳では決してない。
電2さん
No.005 2016/08/03 04:46
今回は、良くも悪くも回数を重ね、「競技としての巌流島」になってきたことを感じさせる内容だったと思います。
わかりやすい・イメージしやすい「巌流島らしさ」(立ち技での差し合い、派手なKO劇) → シャロマエフvs星風、菊野vsチャンロンチャイ
競技としての「巌流島らしさ」(自らのルーツとなる格闘技スタイルのアピール、場外も活用した試合展開づくり) → 瀬戸vsパリシ、岩丸vs毛利
個人的には、第3回から今回へ、MMAスタイルから中国拳法らしさアピールへとシフトチェンジし、相手の特性を潰しつつゲームメイクした瀬戸選手の巧者っぷりに感動すら覚えました。
同時に、こういう試合ばかりになったら、格闘技ファン以外の人がどれだけついてきてくれるか、難しいかもしれない、とも感じました。
既に今回、「下がることのできないリングでの、勝敗は開けてみるまで分からないガチの殴り合い」より、「いかにして相手を自分のペースに引き込み、テイクダウンして15秒のパウンドで確実に決めに行くか」という勝利のため・競技としての巌流島になってる人のほうが多かった気がします。
まずは勝たないと、ですから、非常に正しい選択だと思いますが。
また、「15秒だけならば、耐えきればテイクダウンから解放される」と、反撃するリスクを背負うよりもガードを固めて耐えているところで、パウンドKOとして止められているように見えた場面もあり、このあたりの判定も難しいなあ、と感じました。
(あくまで視聴者視点として。実際には抗議とかはなかったので、選手は納得できるストップだったのでしょうが)
個人的には非常に充実した、見ていて満足度の高い大会だったと思いますが、「これで決定。今後はこのルールで」と言われると、それはそれで新たな違和感を覚えるのも否定はできませんでした。
ルールが固まってきたからこそ、選手がそれに合わせてきて、という部分での再調整は、まだ必要なんじゃないかな、と感じました。
谷川氏は「トーナメントもやりたい」とおっしゃってましたが、もし今のルールのままワンデートーナメントなどを行った場合、より「競技としての巌流島」に寄ったスタイルで戦う人が増えるでしょうから、一気に満足度が下がる可能性が高い、と思います。
日程やカードを押さえるリスクとして、多数の個人戦より、少人数で多試合行えるトーナメントのほうが運営としてはやりやすいんだろうな、というのもわかりますけれども……。
(今回のトゥントゥンミン選手の対戦相手や、前回のグリス・ブドゥ選手の件、逆に第1回のニャン選手などもあるわけですし)
舞台や演出、場外転落時のサポート人員の設置など、ハードウェア側の問題で選手がケガするかも、というのをほぼ解消していて、素晴らしかったと思います。