寛水流空手を学び、須藤元気監督の拓大レスリング部で日本代表になり、ミャンマーラウェイにも挑戦! 奥田啓介が語るプロレスラー論
奥田啓介(プロレス)、インタビュー!
女、酒、金のために頑張るプロレスラー
−−奥田選手は、9.17巌流島トーナメントの2日前にシュートボクシングにも参戦し、連戦になります。
奥田 はい。でもプロレスも連戦でやるものだし、僕の中ではいつもどおりというか関係ないかなって。格闘技で連戦しようと、プロレスで連戦しようと、僕の中では変わらないので。僕は格闘技もプロレスも分ける気はないし。
−−しかも巌流島の16人トーナメントは、1日で最大4試合することになります。
奥田 まぁ、常識的な格闘家なら受けないですよね(笑)。でも俺はプロレスラーなので。
−−今どき珍しいタイプのプロレスラーですよね。
奥田 よく言われます。
−−奥田選手は、最後の昭和プロレスラーという佇まいがあります。
奥田 今はもうプロレスラーはこういうことはやらないので、逆に俺がこのポジションをもらっていいのねって。ありがとねーっていう気持ちです。
−−総取りできるというか。
奥田 僕の中で「プロレスラーは強い」っていうイメージがずっとあるので、やるしかないじゃんってことですよね。僕に言わせたら。
−−今のプロレスはまた別の世界観を作り上げることで成功しているわけですが。
奥田 まぁ、あれはあれでまた一つの闘いであって、それを否定するつもりはないんですけど。とにかく僕は勝つ負けるも大事ですけど、それ以前にお客さんに勝たなきゃ意味ないと思ってるので。そこの闘いですよね。
−−奥田選手独自のハードルがあるわけですね。
奥田 僕はとにかく暴れるだけですよ。あとは金もらって、さっさとキャバクラに行って遊びたいっていうだけ。そこでパーっとお金を全部使って、また次の闘いに向かおうかなって。
−−豪快さがまた昭和だなぁ(笑)。
奥田 だってそれが最高じゃないですか。プロレスラーはいい女を抱いて、酒飲んで、いい生活をする。女、酒、金。これですよ!
−−なるほど……。その昭和的な豪快さは誰から学んだんですか?
奥田 一部の先輩たちから受け継いだ部分はありますかね。帰る時にタクシー代だっていって10万円くらいパーンってくれたりとか。「おい、飲みに行くぞー」とか言って、みんなで新宿のキャバクラに行ったり。
−−奥田選手は、アントニオ猪木さんのIFG所属だったわけですけど、もともとはどういうプロレスが好きで、そういう昭和感覚を持つに至ったんでしょう?
奥田 もともとは小学生のときに新日本プロレスの魔界倶楽部が好きで、村上(和成)さんがすごく好きで。あと子供の頃にケンカばかりしてたら、猪木さんが創った寛水流空手に送り込まれたりとか(笑)。そこで空手も習って。
−−そういうのがIGFに繋がっていくわけですね。
奥田 藤田(和之)さんも好きだったし、小川(直也)さんも好きだったし。あの人たちが格闘技という違う戦場に出て行くところもかっこよかったですしね。違う土俵に行って、そこでもプロレスをできるってすげえなって。一番かっこいい生き方だなって思ったんですよね。だから僕もプロレスラーここにありっていうのを見せたいなって。それが僕の中でのプロレスなんですよね。
−−「プロレスラー」という響きの中にある幻想ですよね。
奥田 プロレスラーって何でもできるんだよって。プロレスラーは弱いっていうイメージを持たれるのは、俺はすごくいやなので。だからあえて一番過酷なミャンマーラウェイもやるし、MMAもやるし、キックもシュートボクシングもやるし。プロレスラーは何でもできるんだよって証明するためにやってるんですよ。だってラウェイを1試合だけやって、怖いからもうやらないっていう格闘家もいっぱいいるわけでしょ。俺はいつでもやってやるって思ってるから。
−−何がプロレスラー奥田啓介をそこまで駆り立てるんでしょうか?
奥田 それはやっぱり女、酒、金ですよ!
場外へのパイルドライバーを狙ってます
−−結局そこですか(笑)。そんな奥田選手ですけど、実は学生レスリングで結果を出してきたアスリートの側面もあります。
奥田 まぁ、高校でレスリングの日本代表になって、大学のときは学生の世界選手権で8位にはなってます。
−−トップアスリートじゃないですか。
奥田 それでも頭の中ではずっとプロレスラーになりたいと思ってましたよ。アマレスはアマレスでめちゃくちゃ厳しい世界でしたけどね。もうあの大学時代のレスリング部には、1億円もらっても戻りたくないほどです(笑)。それくらい過酷な練習の日々でした。
−−大学時代の監督は須藤元気さんでしたよね。須藤さんはどういう指導者でしたか?
奥田 他のコーチ陣が厳しかったぶん、須藤監督は楽しい発想で場の雰囲気を変える感じでしたね。「今日はビーチでナンパの練習をしまーす」とか(笑)。好きな子の名前を叫んで走る練習をしたり。
−−頭の柔軟な指導法ですね。
奥田 その絶妙なアメとムチが僕にはすごく合っていて救われました。
−−大学の後はすぐにプロレス界に飛びこんだんですか?
奥田 いったん就職しました。上場企業の営業の仕事でした。給料もよくて。でも、そこで日々生活をしながら「俺はなんのために生きてるんだろ?」って感じてたんですよね。ある日、会社で怒られて帰ってきて風呂に入ってるときに「もともと俺は何をしたかったんだっけ?」って思って。俺はプロレスラーになりたかったんだろって。
それで会社を3ヶ月で辞めて、IGFに拾ってもらったんです。でも最初の頃は金がなくて、そこらの道に落ちてるパンを拾って食べたりしてましたけど……。それでもやっぱり、やりたいことができていたので「俺、今日も生きてるな」っていう充実感はあったんですよね。だから今もこうしてプロレスを続けられてるわけで。
−−根っからのプロレスラーですよね。その後は格闘技にも挑戦し始めて。
奥田 2015年に始めてMMAの試合をして26秒で負けて、心が折れかけたんですよね。これは無理だなって。でもやっぱり納得いかなくてラウェイに挑戦して、正面から殴り合って。ラウェイでも2連敗したんですけど、僕の試合を見て、感動して泣いてくれるお客さんを見たときに「ああ、これが俺がやるべきことだな」って感じたんです。そのときにプロレスラーをやっててよかったなって思いました。俺の闘いってこれだなと。
−−プロレスラーとして、巌流島ではどんな闘いをしたいですか?
奥田 誰が来てもぶっ倒すだけですよ。俺が大会2日前にシュートボクシングに出るのは、みんなにハンディをあげるんだよって。
−−これまた大胆不敵な……。プロレスラーとして、いわゆるバックドロップやパワーボムを狙うということはあるんでしょうか?
奥田 それはその場のテンション次第で。自分のプロレスをしますよ。とりあえず狙ってるのは、場外へのパイルドライバーですね。
−−それはまさにマンガの世界です! ただ、場外パイルドライバーだと同体になってしまいますけど(笑)。
奥田 あ、そうか(笑)。でもダメージでもう立ってこれないでしょ。場外への脳天杭打ちですから。
−−逆に場外に押し出されて、あっさり負けたりしないでくださいね。
奥田 巌流島の闘技場ってかなり広いですよね。そこでレスラーの僕が場外に出されるってことはないと思いますよ。あと相手に勝つのはもちろんですけど、僕はお客さんにも勝つ。お客さんが「やべーな、あいつ」って言わないと、僕の勝ちにはならないので。男には「やべー」と言わせて、女には「惚れた」と言わせる。それだけです。
−−では最後に意気込みをお願いします。
奥田 女、酒、金のためにがんばります!