この話が聞きたかった! 沖縄拳法空手の山城師範が語る「菊野克紀vs カポエイラ・レロ」の勝負の見所!!
お題………9・2巌流島・舞浜大会の見所
いつものように菊野選手に試合の戦略を組み立てようとする。
しかし、沖縄拳法はカポエイラという格闘技と闘ったことがない。
体重差も10キロ程度だが、相手は非常にバランスが良い。こういう相手は今までで最も怖い相手だ。
戦略を組み立てようにも、その戦略を理解させることが難しい。
人は経験がない人に、他の人の経験を理解してもらうことさえ難しい。
そんな菊野選手に戦略を伝えること自体が難しい。
私は悩む。
私一人の問題ではない。
菊野克紀という人間そのものの、今回の試合に向かい合うための準備が必要だ。
ただ、沖縄拳法は蹴りに対して対応策がないわけではない。
沖縄拳法の名称を最初に名乗った中村茂先生(1891〜1969年)は、直弟子にしか伝わっていない、「実戦」の秘伝の話が伝わっている。
沖縄の空手で「実戦」を行なって来た空手はほとんどない。
代々実戦を行なって来た先生方がいた流派というのも、おそらくない。
その中で中村茂先生は、決して誇張した自慢や武勇伝を語る人ではなかった。
学問に通じていながらも寡黙で、それでいて実戦性を重んじて来た。
私の親父の師匠であり、私の師匠でもある宮里先生は、私の修行時代、こう語ってくれた。
「中村先生は自分が強いとか、誰々に喧嘩で勝ったとか、強かったとかいう人じゃなかった。そんな自慢話なんて、全くしない人だった」。
昔の空手家は、「自分が強い」と自慢しただけで、命が狙われたものだ。
今の人は自分が強いという自慢話を居酒屋でも平気で話すが、そんなことできなかった。
そんなことしようものなら、飲みの帰り道で草むらから誰かに足の骨を鉄の棒で折られて、そのまま殴り殺されて川に捨てられてたものだ。
今の空手の先生には誇張して話す人が多い。
組手や闘うことはしたことないのに、喧嘩が強かったとか、突きの威力に自信があるとかさ。
50年も前はそんなもんじゃなかったのさ。
私が聞いたのは実戦が行われた、その時代の人の話だから、この話は嘘じゃないということがわかった。
だからお前に伝えておく。
中村茂先生は、あるきっかけで勝負を挑まれ、一度だけ“実戦”をしている。
それは蹴りの達人だった。
“北谷シーベー”と呼ばれたこの男は、凄まじい蹴りの速さと威力で知られていた。
今世の中に伝わっている“達人”ってのとはちょっと違うんだよ。
本当に人を一撃で倒せる力を持った人たちのことさ。
その蹴りの威力は、車輪の輻(や・スポークの意)があるだろう。あの丈夫な木を、前蹴りで切り落としたぐらいだ。
速いだけでも、重いだけでもできない蹴りさ。
それほどの達人と闘うことになるとは、中村先生も何があったかわからないが、大変な相手とすることになってしまった。
観客もいたようで、この人たちが見ていたことも本当の話だとわかった。
しかし、勝負の瞬間、中村先生は“あること”を行った。
北谷シーベーが鋭い前蹴りを打ち込んだ瞬間、観客が気がついたら北谷シーベーはその場に倒れて気絶していたそうだ。
多くのことを語らない中村先生が、唯一教えてくれた“実戦”の話だよ。これが沖縄拳法の秘伝の一つだよ。
その秘伝というのはな・・・・・」
この話を聞いて、私はゾッとした。
そんなことを瞬間的にできるのかと。
レロとの対戦話が決まった時、真っ先にその話を思い出した。
しかし、今の菊野克紀では積み重ねが足りない。
秘伝にまで至るほどの鍛錬がない。
しかし、なんとか菊野選手ができる限りで勝たせる方法を作って行くしかない。
その悩んでいる時、彼自身がカポエイラへと自ら稽古に行った。
その特質や性質を肌で感じて来てくれた。
その危険さ、タイミングの難しさ、覚悟。
それを感じて来てくれた。
だから、全てとは言わなくとも、ある程度は伝えられる。
今回の菊野選手とレロ選手の試合の見どころといえば、正直
“やってみないとわからない”
というところだと思う。
勝負だから勝ちも負けもある。
反射神経の勝負ではない。
パワーの勝利でもない。
速さの勝利でもない。
覚悟の勝負である。
そして、戦略の勝負である。
今回の試合の見どころというならば、
「何が起こるかわからない。どちらが勝つかわからない」
そういう、ヒリヒリとした試合になるだろう。
菊野選手とレロ選手の覚悟、皆さんもぜひご覧ください。
きっと、私と同じ気持ちを感じて、ヒリヒリとした時間を過ごせるでしょう。
9・2巌流島の大会情報はコチラ⇒
『巌流島 ADAUCHI 2017 in MAIHAMA』