師匠の柳生心眼流・島津先生から聞いた江戸時代の仇討ちのお話
お題………9・2巌流島・舞浜大会の見所
今回の巌流島のテーマは仇討ち。いつものように谷川さんからブログの依頼が。うーん、何を書こうかな? 谷川さんからの依頼メールにはいくつかのテーマが書いてあった。色々なテーマのリストの一番下に「〜など、なんでもいいのでお書きください」。そう書いてあった。そうかなんでもいいのか。僕はそこに目が行った。じゃあ自由に書いてしまおうと。今回の僕のブログのテーマは身近な仇討ちです。大丈夫かな…。
平成の時代、仇討ちは身近ではない。仇討ちが身近だったのは江戸時代まで。
現代では仇討ちは重大な犯罪になる。
ところが僕は身近にないはずの仇討ちの話を何度も聞かせて頂いてきた。僕は柳生心眼流という武術を10年ほど学んできた。柳生心眼流は江戸時代からの伝統がある武術。江戸時代には仇討ちが普通にあった。というよりは仇討ちが出来なければお家断絶である。時代によって価値観は180度変わる。
よく江戸時代は平和で武術が堕落したとか言われる。戦国時代に比べればもちろん堕落しただろう。ところが平成から比べればはるかに厳しいものだった。厳しいどころか想像も出来ないほど。
僕の心眼流の師匠の先生の先生のそのまた先生。3代前の先生は仇討ちを実際にやっている。3代前だと生々しい話だったりする。3代前の先生は、江戸時代の末期に心眼流を学んだ星貞吉という先生。僕には4代前の師匠にあたる。
星貞吉先生が心眼流の修行を志すきっかけとして実姉の仇討ちの話が伝わっている。この話は心眼流では有名な話で、書籍に文章も残っている。
幼き日に実姉を惨殺された貞吉は一念発起し、心眼流の門を叩き入門。厳しい稽古の末、長じて見事に仇討ちを果たす。その修行の際の逸話。貞吉の武勇伝等も残されている。
仙台藩の家老大町氏は外出の際は必ず貞吉を伴うのを常としていた。ある時、茶屋で休憩していると、揉め事が起こり決闘することとなった。この時、貞吉は一人で戦い、数十人の家臣を相手にすべてを打ち倒し、刀をすべて奪い取り、その末に逃げる家臣にこれを持っていけと言いながら、奪った刀を投げつけたという。また貞吉は気合一つで、馬に乗っている人を落すことが出来たという。
学びが浅い頃に何度も聞かせて頂いた逸話。ある日師匠が僕にポツンと言った。「星先生の仇討ちは、立会人が吹き矢で首に毒針を打ったんだ」。師匠は表情を変えずにそんなことを話し始めた。
僕はあっけにとられた。それまで聞かされた逸話は一体何だったんだろう。何だか分らない不思議な状態に僕はなっていった。
「いいか、歴史に残った話には嘘と本当がある」
「そもそもその時代にいないんだから……」
「誰にも本当のことは分からない」
目の前の先生も本当の先生なのか怪しい気分になってくる。
「これは、師匠から聞かせてもらった話だ」
「師匠は、そのまた師匠から聞かされた」
何だか分らない話が続く。目の前を流れる時間が少し歪んだような気がした。流れる時間が歪み、現在と過去の関係が近くなったり遠くなったり、何だか分らない不思議な何かが流れてる
「少し考えてごらん」
「仇討ちは犯罪者との戦いだろ」
「何で犯罪者と五分五分で勝負するんだ?」
何だか分らない。何を言いたいのか分らない。
先生の方を見ているしかなかった。
「これは師匠から聞いた話だ」
「師匠はまた師匠から聞かせてもらった」
「これが世継ぎの伝という物さ」
世継ぎの伝って一体何だろう?
目の前に霧がかかった感じがする。
霧の向こう側には遠き時代の景色があるのかもしれない。
「この仇討ちの話は、すべての仇討ちの話じゃないかもしれない」
「これはうちの流儀に関する話」
「この話はうちの流儀にとって本当の話だ」
先生は表情を変えずに話を続けた。
「仇討ちの目的は犯人を捜すまで」
「犯人を見つけたら、あとは藩が処理をする」
「その時の儀式的な物が仇討ちになる」
先生が聞かせてくれた内容は、江戸時代における仇討ちの知らない話だった。
仇討ちの第一の目的は犯人を見つけること。現代のような捜査網を持たない当時は、犯人を見つけるのが現代の何倍も難しい。だから責任を持って自分たちで見つける。
それが出来なければお家断絶となる。見つけたら仇討ちの形式を取り、犯人と向き合う。向き合い口上を述べたら、あとは藩の役人が影で吹き矢を打ち殺す。
木偶の坊となった敵(かたき)を切れば、仇討ちは終わり。仇討ちは公開処刑の意味合いを持って行なわれた。
考えてみれば、幼い姉弟などが仇討ちを行なうシーンが小説にはある。本当に衆人環視のもとで決闘しても返り討ちにあうだけ。そんな不条理なことを本当にやったのだろうか?
確かに先生の言ったことは真実味がある。武術は停滞を嫌う。
教える内容、伝える口伝は常に弟子に合わせて変化する。そこに武の極意と秘密がある。
かなり盛り上ってきた巌流島。同じ内容では停滞する。
次回はいかなる変化をするのか。武の極意の一つに変幻自在という物がある。
9・2巌流島の大会情報はコチラ⇒
『ADAUCHI 2017 in MAIHAMA』