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日本人プロレスラー初となるA猪木の従四位と旭日中綬章の叙勲。それは「プロレス市民権」への巨大なる第一歩

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サムネ

去る123日、アントニオ猪木叙勲記者会見が行われた。贈られたのは従四位と旭日中綬章。旭日中綬章はプロレスラーでは初となる。

これはプロレスラーとしての活躍もさることながら、89年からの6年間と2013年からの6年間、合計12年間、参議院議員としても尽力し、国や公共に対する功績によるもの。

そうした背景があったからか、会見場になったのは、参議院会館の地下1階にあるB101会議室だった。また、授与日は亡くなった日(2022101日)にさかのぼるという。

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拝受役を担ったのは、弟の啓介さん(74)と、孫の寛太(ひろた)さん(20)。二人は会見前の式はもちろん、会見の際にも猪木さんの形見の赤いネクタイを絞めていた。

会見の席上、まずは啓介さんが「素晴らしい名誉ある勲章をいただいたことを心から嬉しく思っております。兄貴も喜んでいると思います。弟として兄貴を誇らしく思っております」とコメント。続いて寛太さんが「みなさんありがとうございます。グランパ(おじいちゃん)も喜んでいると思います。母も弟もすごく喜んでいます」と感謝を述べた。

寛太さんは猪木さんの娘・寛子さんの長男だが、米国在住の寛太さんにとっては初めての公の場となったが、現在、寛太さんはカリフォルニア州のサンタモニカ大学に通う2年生ながら、「車のメカニカルエンジニアに興味がある」と将来への展望を話していた。しかしながら取材陣からすれば、どうしても格闘技に関してどんな向き合い方をしているのか。その部分を聞きたくなってしまう。

それに対して寛太さんは「(将来的には)ボクシングがしたい」と話すにとどめたが、会見後の取材で、一部メディアが寛太さんの弟のナオトくん(14)がムエタイや柔術、レスリングを習っており、将来はUFCを目指している旨を明かしたことから、それに関する情報が公開されることになった。

さらに祖父である猪木さんの試合について寛太さんは、「モハメッド・アリ戦(19766月、日本武道館)、グレート・アントニオ戦(197712月、蔵前国技館)」と並び、舌出し失神事件として伝わる「ハルク・ホーガン戦(19836月、蔵前国技館)」の映像が印象深かったことを明かし、「ストロング(強い)、ノーフィアー(恐れを知らず)」という単語を用いながら、「内に秘めた闘志がすごい」と、そういって祖父の闘魂を言葉にしていた。

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また、啓介さんは、兄の猪木さんが過去にブラジル、パキスタン、キューバ、北朝鮮などでも勲章をもらっていることに触れ、ようやく日本からも勲章を贈られたことを喜んでいたが、そんな話を聞くと、いつだったか生前の猪木さんが口にしていた、「日本だけは勲章をもらえないんだよなあ」と苦笑いしていたことを思い出す。

叙勲に関しては、会見でも啓介さんが「できることなら生きている間に(叙勲の機会を)いただけたらと思っていますが、これは運命ですからしょうがないんですけど」と話していた通り、本音を言えば、自分もそれはそうだと思っているものの、それでも贈られて良かったと思っている。

というのは、世の中には「プロレス」や「格闘技」というだけで、「野蛮・八百長・反社」という3点セットでしか語れない方々が一定数いる一方で、勲章をもらった、ということを基準に人を判断する方々も一定数存在している、当たり前と言えば当たり前の哀しい現実がある。

だからこそ、アントニオ猪木さんが今回、国から勲章を贈られたことは、マット界に関わる人たちにとっては、大きな意味があると考える。

実はそれこそが生前のアントニオ猪木さんが目指した「プロレス市民権」への第一歩だと思うし、猪木さんが残した偉大な功績だと思っている。

それにしても改めて会見の画像を確認すると、「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」(20221228日、両国国技館)でも使用された、アントニオ猪木のほぼ等身大パネルの存在感に気付かされる。

まさかあのパネルを参議院会館でも拝めるとは驚きだが、この流れで行くと、37日に両国国技館で予定される「お別れ会」でもまた再会できる可能性は高いのではないか。だとしたら、改めてつくってよかったなあと率直に思った。

なお、「お別れ会」には、今回の会見に出席した啓介さんはもちろん、寛太さんも母、弟と共に参加する予定だという。

(文◎“Show”大谷泰顕)