次回大会は7月31日(日)、有明コロシアムにて開催決定!! 大会名は『巌流島 WAY OF THE SAMURAI 公開検証 Final』
皆さん、大変お待たせしました。次回『巌流島』イベントが7月31日(日)15:00より、有明コロシアムでの開催が決定しました。昨年2月のディファ有明大会から始まった『巌流島』の「公開検証」シリーズも今回で4回目。そろそろ「公開検証」もこれをもって終わりにしようと考えています。
前回の3・25TDC大会では、競技についての主催側の未熟さが浮き彫りになり、大いに反省しています。特に星風vsボンギンゴシ・マドンセラ、バル・ハーンvs グリス・ブドゥ2の2試合では、いろんなトラブル、反則が続出しました。
7・31有明大会では、マッチメイクはもとより、この競技の部分の反省を活かした公開検証を真剣に行っていきたいと思います。それは奇抜な演出やマッチメイクよりも大切だと考えるからです。
そこで、皆さんにもう一度『巌流島』が進もうとしている方向性をお伝えしたいと思います。
『巌流島』武道宣言!
『巌流島』はよく、新しい格闘技イベントという表現がされていますが、我々が目指しているのは、厳密に言うと、まったく別ジャンルの新しい「武道イベント」です。
『巌流島』は旗揚げ会見で、
- 立ち技にこだわり、世界最高峰の打撃格闘技を追求する
- 公平な異種格闘技戦の実現
- 武道とエンターテイメントの融合
と、そのコンセプトを説明してきました。
- 立ち技にこだわり、世界最高峰の打撃を追求するのは、そこに現代の「実戦」=「ストリートファイト」における格闘技術を活かす競技を実現したいからです。
すでに皆さん、お気づきのように、実戦で寝技になることはまず考えられません。武術家の倉本成春師範は「ルールなしの実戦では噛みつきひとつの行為によって寝技にはいけない」と言っていますし、まして複数戦になると、寝技に入った瞬間、他の相手から無防備なまま攻撃を受けてしまうことになります。総合実戦護身術・功朗法の横山雅始師範は「戦場の組討で寝技になることは自殺行為」とも語っています。柔道の「押さえ込み30秒」も同じく実戦を想定したルールです。
つまり、グレイシー柔術が提示して世界中に広まったMMA(総合格闘技)は最強かつ究極のルールというイメージがありますが、それはあくまでも1対1の正々堂々(ルールのある)とした「決闘」の中での話です。実戦を想定するならば、立ち技で決着をつけなければならないし、そこでは「打撃」「投げ」「押し出し」という攻撃はとても重要です。『巌流島』のコンセプトは、まずそこに主眼を置いています。
- 次に「公平な異種格闘技戦」ですが、格闘技である限り、「他の格闘技と闘ったら勝てるか?」という発想が必ず根底にあります。柔道や空手の試合で「世界一」になることはとても立派なことですが、その柔道の強豪が空手家やキックボクサーに簡単に負けるようでは武道とは言えません。決められたルールの中で一番を決めることが「スポーツ」ならば、「武道」はより幅広い実戦を想定した「武術」を追求したものだからです。そして、武道の試合は本来、自分たちの流派同士の自流試合ではなく、他流試合=異種格闘技戦で勝ち抜くために腕を磨いてきました。
『巌流島』では、そんな「武術」をできるだけ公平なルールを作って、各格闘技ジャンル、各流派を競わせ、異種格闘技戦を通して技術や精神を高めようという狙いがあります。
このように「立ち技にこだわり、世界最高峰の打撃格闘技の追求」や「公平な異種格闘技戦」をコンセプトにしているのは、『巌流島』が実戦を想定した「武術」にこだわりがあるからです。武術をできるだけ意識し、最低限のルールを決めることで競技化し、技術や意識を高めていく。その意味では、巌流島がやろうとしていることは、グレイシーが提示した総合格闘技のイメージをある意味、否定するものであり、一歩先をいくものだという自負もしています。
巌流島の「公平な異種格闘技戦」は、「武術の新しい競技化」のひとつの表現方法です。巌流島は大げさに言うと、柔道の嘉納治五郎や空手の大山倍達ら先人達がめざした武術の競技化を同じように目指しているのです。
では、「武術」と「武道」はどう違うのか?
一般的に武術を学ぶ上で、よく精神的な面を鍛える側面を「武道」と言っています。たしかに「武術」は護身術でありながら、人との倒し合い、殺し合いですから、精神的なものを身につけなければ生き残れませんし、悪用されることもあります。
では、巌流島という試合の場でどう「武道」をめざしていくか?
その答えは、ただ勝ち負けを競い合うだけではなく、武道として「美しい勝ち方」「美しい闘い」に徹底的にこだわることだと思っています。
そもそも「武術」は実戦ですから、「よーい、ドン」で始まる世界ではありません。相手を倒すために「反則」となる「禁じ手」もなければ、体重を合わせるという発想もありません。そもそも、スポーツのように「平等」な条件で競い合うのではなく、「不平等」で闘うのが当たり前という前提ですし、あえて「不平等」な状況を作り出して相手に勝つことが「武術」の極意でもあります。例えば、体重差が倍もある相手とどうしても闘わなければならない場合、平等な条件(ルール)で闘おうとしても勝てるわけがありません。その場合、油断させて不意打ちを行ったり、目潰し・金的蹴りといった「禁じ手」を使わないと勝負にならないでしょう。「不平等」な状況だからこそ、別の「不平等」な発想を作り出すことで、相手に勝とうとすることが「武術」です。だから、時に「卑怯」な闘い方こそ、武術の真髄だったりするのです。
しかし、そんな武術だからこそ、武士道ではいさぎよい闘い方、美しい闘い方が問われてきました。その究極がサムライとしての「死生観」に繋がっていくのです。
『巌流島』は「武術」の競技化をめざしていく上で、さすがに試合である以上「よーい、ドン!」で始めなければなりませんし、「ルール」を設けなければなりません。そこは武術と競技の限界は存在するとしっかりと認識しています。しかし、本当はルールという規則がなくとも、体重差などのハンディがあろうとも美しい闘い、美しい勝ち方にこだわった試合をお見せする。その精神こそが、武道の試合だと思うのです。もう怪物同士の殴り合いで、ただ強いだけの証明では物足りない。その先に何があるかを追求していきたいと思います。
整理しますと、『巌流島』がいう、「立ち技にこだわり、世界最高峰の打撃」や「公平な異種格闘技戦」をめざすコンセプトは、「武術」志向の表れです。さらに選手は「美しい闘い」=「武道」を見せる意識を持つことで、他の格闘技イベントとの決定的な差を見せつけたいと考えています。それが選手に理解してもらえるか……?
そのことを理解して闘う選手こそ、巌流島がめざす真のサムライ・ウォリアー。そして、上記の説明でなぜ『巌流島』は異種格闘技戦にこだわるのか? なぜ寝技の時間が短いのか? なぜ道着を着ているのか? なぜ、円形の舞台で闘い、転落したら負けにするのか? そういった『巌流島』の特徴の理由を理解していただければと思います。
すべては『巌流島』が武道の他流試合を目指しているからです。そして、武術や武道を競技化したり、エンターテイメント化することには、もちろん限界がありますし、矛盾があります。そこはファンの方々と今後もどんどん議論していきたいと考えています。
7・31巌流島のタイトルは「巌流島 WAY OF THE SAMURAI 公開検証Final」としました。「WAY OF THE SAMURAI」は、「サムライへの道」「武士道」「 サムライの流儀」などの意味が込められています。
チケット情報やマッチメイク、テレビ情報については、5月20日前後の記者会見で発表することを予定しております。ぜひ、この夏、巌流島で熱くなってください!