MMAはアメリカにくれてやる。勝手にやっとけだ。巌流島は我が道を行け!
niconico動画の『巌流島チャンネル』でほぼ毎日更新していた「ブロマガ」が、オフィシャルサイトでパワーアップして帰ってきました。これまでの連載陣=谷川貞治、山田英司、ターザン山本、田中正志、山口日昇に加え、安西伸一、クマクマンボ、柴田和則、菊野克紀、平直行、大成敦、そして本当にたまに岩倉豪と、多種多様な方々に声をかけていく予定です。ぜひ、ご期待ください!
5月26日(木)のブロマガ………お題『巌流島・公開検証Final』に期待すること
『巌流島』のコンセプトとは? 私の個人的意見を言うとこうなる。アンチMMAだ。脱MMAだ。それしかないよ。生き残る道はね。1ミリでも興行が、試合がMMAをイメージさせたら『巌流島』のアイデンティティーはその瞬間に崩壊する。終わる。いかにしてMMAとは違うこと、それとの差別化をはかるかだ。
MMAはUFCによって完成形体となった。アメリカの考え方はいかにそれがビジネスになるのか? その一点にしか彼らの興味と関心はない。それも単なるビジネスではない。ビッグビシネスへの野心、野望、欲望だ。正しい。全く何も間違っていない。資本主義の思想そのものだ。たかが格闘技だよ。所詮、総合格闘技だよ。UFCはそれをビッグマネーを生むものにした。見事な資本主義的錬金術。
格闘技に余計な幻想がないからできることだ。そういう発想は、そもそも日本人にはないよ。向いていない。あるわけない。我々は格闘技をロマンと考える。あのPRIDEだって基本的にはそうだった。そして世の中の全ては金のある方に動いていく。流れていく。当然だ。こうしてUFCは独り勝ちした。もう結果は最初から見えていた。ビッグマネーが支配する世界にはスケール感がある。だからUFCには誰も勝てない。ライバルは存在しないのだ。資本主義はいつもそうして二番手以下を壊滅させる。恐ろしいほど貪欲。悪魔的。
日本の格闘技界が復活しない。上昇しないのはUFCのせいなのだ。だったらもうUFCに対抗することは無駄なのだ。それと同じことをやったら勝てないのだ。しらけるだけなのだ。つまらない。面白くない。しかしだからと言ってUFCが絶対とは言いがたいこともたしかなのだ。なぜなら私なんかもう総合格闘技には飽きた。見ようとさえ思わない。「いいよ、それは」という気分だ。私以外にもそう感じている人は多いはずなのだ。ここにこそまさしく『巌流島』の存在理由がある。UFCの次に来る時代とは何か? 『巌流島』はそれを今、模索している段階。UFCはアングロサクソンにくれてやるだよ。勝手にやっとけだ。
ただプロの格闘家が闘うとどうしてもMMAの様式、フォルムを引きずったものになる。それは仕方がないよ。そこをどうして『巌流島』がクリアしていくかだ。ウン、能書きをたれても意味はないよな。じゃあ、代案を出せと言われかねない。出してやろうじゃないか。素人を登場させるのだ。一般人。格闘技をやったこともない人間をマットの上に上げて対決させるのだ。
その場合、誰でもいうというわけではない。因縁のあるもの同士だ。たとえば友人にお金を貸した。もちろん好意でね。しかし金はいつだって魔物だ。金の貸し借りでそれまでの友情が壊れたりする。よくあるケースだ。でも貸した側からすると返してくれとなる。借りた方には返す気配がない。貸した方はイライラする。もはやその決着は私からすると『巌流島』のマットしかない。なぜか? お金を貸した人間とそれを借りて返さない人間をガチンコで激突させるからだ。仮にそこで金を借りた方の人間が勝つとそのお金はもう返さなくてもいいとかね。
これは見たいよ。面白いよ。野次馬根性的にもね。マスコミも飛びつくだろう。あるいは三角関係で彼女を取られた男が取った男と対決するとかね。とにかく世の中で起きているあらゆるトラブル、揉め事は無限大。その解決は『巌流島』のマットでやれだよ。ヨーロッパであった決闘ってそういうことだろ? 拳銃による対決だからね。死ぬかもしれない。憎しみ、恨み、怒り。決闘しかないよ。ザ・決闘だよ。『巌流島』には是非、それをやってもらいたい。それならUFCも口あんぐりだろ。ざまあみろだよ。