GANRYUJIMA BLOG巌流島ブログ

真剣勝負という踏み絵を突きつけられたアリは何を思ったか? そこには恥と懺悔の意識があった!

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niconico動画の『巌流島チャンネル』でほぼ毎日更新していた「ブロマガ」が、オフィシャルサイトでパワーアップして帰ってきました。これまでの連載陣=谷川貞治、山田英司、ターザン山本、田中正志、山口日昇に加え、安西伸一、クマクマンボ、柴田和則、菊野克紀、平直行、大成敦、そして本当にたまに岩倉豪と、多種多様な方々に声をかけていく予定です。ぜひ、ご期待ください!

6月17日(金)のブロマガ………お題「40年前の猪木 vs アリ戦を見て、異種格闘技戦を考える!」

文◎ターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)

文◎ターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)

 

テレビ朝日がアリ猪木戦をノーカットで放映したことがプロレスファン及び格闘技ファンの間で大きな話題になっている。みんな、その試合を6月12日の日曜日の夜に見たようだ。アリが6月4日に亡くなったので追悼特集されたのだ。1976年、今から40年前の試合だよ。それも15Rだよ。当然、私も見た。40年前と言えば30歳だ。大阪はみなみの映画館、千日前セントラルで映写技師をやっていた。懐かしいなあ。たしかその日は土曜日の午後だったと思う。

ところでアリ猪木戦についてはどうしても我々は猪木サイドの視点から見てしまう。これはプロレスファンだから仕方がない。もしアリ側の立場というかアリ自身の目からあの試合を考えたらどうなるのか? それってまるで月の裏側を覗くようなものだ。アリは当初、猪木との試合はエキシビジョンマッチととらえたようだ。わかるなあ、その気持ち。それってアリのプロレス観のことでもある。アリがプロレスのことが好きだったというのは本当なのだろうか?

人々、観客を楽しませるものとしてのプロレス。アリはビッグマウスになることでボクシングの試合を自作自演の劇場化していった。それだけでもうアリはボクシングを超えた人だった。劇場化最大の演出となったのがキンシャサの奇跡と言われるジョージ・フォアマンとの世界戦だ。ところが猪木サイドは、アリ側のエキシビジョンマッチを拒否。実はここが最大のポイントなのだ? え? なぜ、エキシビジョンマッチじゃないの? アリはそう思ったはずだ。およそアリからすると理解不可能な話だ。どう見たってプロレスの試合はエンタメだろう? 本気でやるの? マジなの? リアルファイトなの? アリからすると信じられないことだ。この瞬間からアリの中でプロレスへの認識が変わっていく。

猪木からするとアリはプロレスというジャンルの外にいる人。もしその外にいると人とエキシビジョンマッチをやったらプロレスが真剣勝負とは違うものであることが世界中に証明されてしまう。だから絶対に譲れない。NOなのだ。アリはエキシビジョンマッチという踏み絵を猪木に踏まそうとした。だがそれは逆効果となった。アリが真剣勝負という踏み絵を突きつけられたからだ。アリはその時、何を思ったのだろうか? 相手は本気だぞ。猪木は本気なのだ。アリにとって予想だにしていなかった展開。

写真(サムネ)

ある部分、アリは遊び半分で日本に来たはず。その思惑が全て飛んでしまったのだ。一体、この男、猪木は何をやらかそうとしているのだ? 人一倍、優れた感性を持っているアリのことだ。エキシビジョンマッチを要求した自分のことをもしかしたら恥じたかもしれない。たしかにアリは失礼なことを言ったことになる。猪木とプロレスラーのことを圧倒的上目線で見ていたことになるからだ。

アリが自己嫌悪に陥った? こうなると試合どころではない。猪木をリング上でぶっ倒すという気分にはなれない。だってアリは自分のことを恥じているんだから。その結果、15R、アリは左の足に64発のアリキックを喰らい続けた。まるでそれが懺悔の意味であるかのように。

足は腫れ上がり、アメリカに帰国したアリは病院に直行。2ヶ月後に予定されていた世界戦は急遽中止。あまりにも大きな代償となった。仕方がない。エキシビジョンという言葉を言ってしまったせいだ。アリは猪木戦のことをほとんど何も語っていない。語りようがない。いや、語れない。15Rが終わった時、アリは猪木に「サンキュー」とひと言、いったそうだ。普通、そんな言葉をあの場面で言わないよ。その中には「悪かったな」という思いがある。

アリは猪木を通してプロレスとは何か? プロレスラーとは何かの真の姿を見た。もうそれで十分なのだ。アリが猪木を結婚式に招待したのは当然だった。そして、あれだけビッグマウスだったアリが後半生は無言、沈黙の人となった。わかるような気がする。猪木は凄い。アリは凄い。それしか言いようがない。