沖縄拳法空手・山城師範の手記で見えてくる「菊野克紀はいかに全アジア武術選手権を制したか?」
10月27日(木)のブロマガ………お題「10.21 巌流島・全アジア武術選手権大会の感想」
文◎山城美智(沖縄拳法空手道「沖拳会」師範)
10月21日に「巌流島全アジア武術選手権大会」が行なわれました。決勝戦で小見川道大選手に勝利し、菊野克紀選手が初代アジアチャンピオンとなりました。
この大会は菊野克紀選手のみならず、沖縄拳法としても全てを賭けなければならない、過酷な闘いでした。1日に3試合をこなさなければ「優勝」が手に入れられないという、非常に厳しい大会です。
しかし、菊野克紀選手は見事全ての選手を圧倒し、勝利を手に入れました。
ここで、書くかどうか少し悩みましたが、菊野選手ではなく私側の視点としての今回の「巌流島」で書いていきたいと思います。
・・・・・
某日某所、試合が決まり、「チーム菊野」が集合し話し合いが行われました。
指揮官として私、沖縄拳法空手道師範・山城美智。
ボディケア、ストレッチ、治療として、横浜スポーツ接骨院の種市院長。
フィジカルトレーニング、反射トレーニングコーチとして、世田谷CORE’Sの為谷コーチ。
それぞれが得意分野を生かし、それをきちんと連携させ、方向性と作戦を作り上げていくのが私の仕事でした。
ここで、直前に私が「巌流島ブロマガ」にて、前回のクンタップ戦の作戦と勝利の要因について、あからさまに解説していたことに関して、種市院長から意見が出ました。
種市院長「山城先生、あんなに全部書いて大丈夫なんですか?」
それを聞いた菊野選手は少し不安げな顔で私を見る。しかし、何も言わない。
私「ああ、大丈夫だよ。あれは『わざと』書いたから・・・・。」
今回の私たちの巌流島全アジア大会への対策は、そこから始まっていたことをチームのみんなに伝えました。前回の菊野選手の勝利は衝撃的で、おそらく誰もが警戒し、対策を取るであろうと思っていました。だからこそあえて私は前回の作戦と菊野選手が「前に出て勝った」ということを強調しておいたのです。
それによって、今回私が菊野選手に行わせた戦略、闘い方が完全に通用しました。どの選手も菊野選手が「突っ込んできて殴る」こと、「前蹴りを打ってくる」ことを警戒して、彼の間合いを見抜くことができなかったのです。そして、結果的に打ち合いにもならず、菊野選手の打撃が当たり、またはテイクダウンを可能としました。
菊野選手にはクンタップ戦を含めた今回の大会以前の三戦までに、幾つかの課題と方向性を作り上げていった。
1.ボクシング対策
2.反射神経の強化
3.バランス力強化
4.柔軟性強化
詳しいトレーニング法は今の所秘密ですが、これが私の中での菊野選手の「伸びしろ」の部分であると認識していました。おそらく、あの打撃力から誰もがウェイトトレーニング、パワートレーニングを行っていると思ったかもしれませんが、私は不要だと確信したので、それを一切捨てさせました。
沖縄拳法の型と武器、基本の練習で十分打撃力は強くなる。突きだけではなく、蹴りもまた然り。それほど、沖縄拳法に伝わる鍛錬法は現代のトレーニング最高峰に位置すると思っているのです。実際、彼の打撃力の強烈さは、今回のトーナメントでも十分に発揮できたと思う。
人は円を目指す。全てが万全であろうとする。しかし、円は広がり続ける円でなければ、良いところを削り落とそうとして小さな円になってしまう。最初から良いところを伸ばさず、全てトータルで強くしようとすれば、大成しない。まずは伸ばせるところを伸ばして、そこから他のところを伸ばしていく。そこに「伸びしろ」が生まれる。その伸びしろを菊野選手自身も感じたであろうと思います。
彼はまだまだ強くなれる。
第1戦 ハ・ウンピョ選手(韓国テコンドー)
相手はテコンドーのチャンピオンでもあり、キックにも通じている選手。なおさら、彼は自分の蹴りなどの対策を立てられているだろうと考え、菊野が懐に飛び込んだところを合わせてくるだろうと読んでいました。
私は日頃の菊野選手の打撃にこういう練習を付け加えていました。
「頭はもう少し傾けて深くしよう。殴ったらすぐ相手にだきつけ。当たっても当たらなくても。左のガードをしっかりあげろ。相手は合わせてくるから」
予想通り、相手は蹴り技では見切られるので、懐に飛び込んできたところに右のフックを合わせてきました。鋭い打撃でしたが、打撃の軌道が素直すぎでした。
テイクダウンからパウンド、この時点で私は勝ちが近いと確信しました。
パウンドでも、菊野選手には新しいパウンド法を教えていました。今までとは違い、簡単に手で止められない。鋭い一発が最後に決まった。
菊野の右クロスが決まってKO勝ちになりましたが、あのパウンドがあったからこそ、綺麗に決まったのであろうと思っています。
それにしても強烈な一撃だったと思う。私は殴られるの嫌だなーと思った。
試合終了後、すぐさま次の試合モードに入る。
私はイゴール・ペルミンこそ、今回の大会の最初の「決勝戦」だと思っていました。そのためにほとんどの対策を行ったと言っても過言ではありません。彼の初戦の相手(モンゴル相撲)は非常に強く、かなりの消耗をさせてくれました。それには非常に感謝しました。
しかし、対策してきたことは間違ってなかったことと、菊野選手のポテンシャルを引き出してくれる素晴らしい相手だとも感じました。
第2戦 イゴール・ペルミン(ロシア・ハンド・トゥ・ハンド)
私は彼が「ハンド・トゥ・ハンド」という格闘技の選手でありながら、空道のアジアチャンピオンであることと、北斗旗上位者ということを聞いていて、ベースが空道であると認識していました。映像による試合の分析を行いましたが、非常に強く、回転力のある選手でした。体幹もロシア人であるならば、日本人の比ではない。おそらく組んでも強いでしょう。
今回は彼の回転力のある打撃を出させないこと、そしてテイクダウンからパウンドの流れを作ることが重要であると認識していました。しかし、私は彼の動きに一つの弱点を見つけていた。ここが今回の「攻め所であり、活路である」ということを、わずかな希望をもって勝負に向かわせたのです。
作戦が成功し、ペルミン選手は一切の間合いを理解できず、打撃に連続性も出せず、本来の持ち味を生かせずにいました。その間に、菊野選手のローキックが決まる。だんだん立っているのもやっとになる。
試合後、ペルミン選手は廊下で立てずに転がっていたという。菊野選手の蹴りはそこまで強烈になっていたのです。
そして打撃もタイミングよく決まる。一瞬、顔のど真ん中を撃ち抜かれて菊野選手が膝をつくシーンがありましたが、そこは流石の経験値、すぐさま組みついてしのぐ。
蹴りをとってテイクダウン、そのまま菊野選手のパウンド。
押し出しも。
明らかに優勢。セコンドからの指示は極めて少なくし、集中力を切らないようにする。ローキックが思いの外効いていること、ガードを意識することを伝える。
判定の結果、3−0。菊野選手勝利。
強敵であったので、非常に大きな勝利。しかしすぐ、次の小見川選手の対策を考えねばならない。試合会場に戻り、試合を見る(座った席が田村潔司選手の席でした。ごめんなさい)
カンフートーアのアリ選手を、マイク・タイソンのような動きでKOした小見川選手。
彼の動きを見て菊野が一言、
菊野「先生、あの動きにはどうしたらいいですか?」
私「今回の作戦そのままだ。そうすれば自分から殴るチャンスが生まれる。そしてガードの上から遠慮なくぶっ叩け。相手はしっかりガードをしているから大丈夫だと、捌く技術を怠る。しっかりガードを上げているほど当てやすくなる。お前の打撃はガードがあろうが関係ない」
第3戦 小見川道大(柔道)
スタートから菊野のペース。小見川選手は自分の間合いに入ることができない。つまり、自分の殴る距離がわかっていないということです。
菊野も殴りに行くが、組まれる。
そして、まさかの巴投げ。
映像にも映ってしまったが、あまりに見事に私の眼の前に菊野選手がバターン!と巴投げで投げ飛ばされてきたので、拍手して歓声を上げてしまいました。菊野、ごめんね。
菊野選手のガードの上からの打撃が効いているのがわかる。パウンドも決まる。
1ラウンドが終わる。
指示は「大振りに気をつけろ。ガードを上げろ。反応だ」だけ。なぜなら、菊野選手の顔には漲る力と自信に溢れていたからです。
だから、多くは言うまい。任せよう。
2ラウンド、菊野選手の動きに全く間合いをつかめない小見川選手。
ちょっとした体の入れ替えの瞬間、小見川選手の大きな右フックが飛び込む真下、みぞおちに菊野選手の前蹴りが突き刺さる。
そのままお腹を抱えて下がっていく小見川選手。
菊野選手が追撃を仕掛ける。
そのまま雲海に落ちるが、立ち上がれない小見川選手。
菊野選手の話では、呼吸がチョークスリーパーなどで完全に落ちた人の呼吸だったという。それほどまでに強烈に入っていたのでしょう。
リングに戻れない小見川選手。
結果、菊野選手のTKO勝利。
菊野選手の破顔の笑顔。
私も最初から最後まで一切の感情を出さずに耐えてきましたが、溢れてきた喜びに雄叫びをあげました。
試合後、戻る菊野選手を呼び止め、抱き合った。
「やったなー!お前はすごいよ!」
私にはそんな感じのことしか振り絞れなかった。
今回改めて作戦の重要性、方向性の指揮、チームとの連携、お互いの信頼関係の重要さに気づき、そして私たちが行ってきたことの確信を得ました。
今回、初戦でクンタップ選手が破れた時に
「なんてレベルの高い大会だ!」
と、顔が青くなりました。
その中で、なんとか彼を生きて、勝利を得て、そして家族の元に帰すことができるか。
私は戦場に足を踏み込んだ気持ちのまま過ごしていました。
最後は全てをかけて出し切ったような、私が闘ったわけではないのに、そんな気持ちになりました。
菊野選手、お疲れ様。君はよくやったよ。
選手の皆さん、本当に素晴らしい試合、ありがとうございました。
大会運営の皆様、この素晴らしい大会をこれからもよろしくお願いします。
最後に、どのような「作戦」だったかは今回は秘密です。
でも、次回はまた違う作戦でいきます。
それが私の仕事なので。
長文、読んでいただきありがとうございます。