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格闘探偵・岩倉豪が勝手に迫る! 琉球空手幻想の真実!

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niconico動画の『巌流島チャンネル』でほぼ毎日更新していた「ブロマガ」が、オフィシャルサイトでパワーアップして帰ってきました。これまでの連載陣=谷川貞治、山田英司、ターザン山本、田中正志、山口日昇に加え、安西伸一、クマクマンボ、柴田和則、菊野克紀、平直行、大成敦、そして本当にたまに岩倉豪と、多種多様な方々に声をかけていく予定です。ぜひ、ご期待ください!

6月7日(火)のブロマガ………お題「7・31巌流島で楽しみにしている試合」

文◎岩倉豪(小川柔術・格闘家)

文◎岩倉豪(小川柔術・格闘家)

 

〜勝手に巌流島・琉球空手達人編〜

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熊澤伸哉との“勝手に巌流島ルール”の戦いを終え、殴られて頭がクラクラする状態のまま、熊澤君から沖縄の浦添市にある闘心ジムに連れてこられた。師匠から「倒したら俺のところに連れてこい」と指示を受けていたようなのだ。

そこでは熊澤信哉、花澤大介、両名の劉衛流(りゅうえいりゅう)空手の師匠である池田浩二先生が人のよさそうな笑顔で待ち受けていた。思えば、これまで自分が遭遇した真の達人はみな人当たりがよく、その後の技の掛け合いがドギツイものだった。はっ!と過去の様々な惨劇が走馬灯のように浮かんだ。このパターンの時は、得がたい武術理論を我が身をもって痛みとともに味わうことになる。

「岩倉さん、凄い技術を自分の体で味わってください」と、悪だくみの笑顔を浮かべて話しかけてくる熊澤君に、琉球空手と池田先生との出会いについて聞いてみた。

最近、沖縄空手の使い手に急速に成長した熊澤伸哉が池田浩二先生と出会ったのは、今から20年前のこと。格闘技の道場で出会った劉衛流の空手家・池田浩二の強さは本当に鬼のようで、熊澤は挑むも何もできずに練習のたびに倒されていたという。

 

〜熊澤伸哉の人間性〜

沖縄の格闘技関係者なら1度は熊澤伸哉の道場破りの逸話を聞いたことがあるはずだ。熊澤はまだ17歳の高校生ぐらいの頃、家の近くの空手道場に道場破りに行き、代表を組手で倒して看板を奪ったり、乗っ取った空手道場の床板の上で、ヤンキーや腕自慢の学生をかたっぱしから倒したり、高校で一番強いやつの足を関節技で折ったりと、今だったら大問題になることを平然とやっていた。

大学時代には、アンディ・フグや藤田和之、小川直也が合宿に来ていた平仲ボクシングジムに道場破りに行き、平仲会長に「そういう場所じゃないから帰れ」と追い返されたり、大学卒業後に自衛隊に入隊して、徒手格闘で上官の腕を折って問題になったりした。

そんな熊澤はパンクラス、アウトサイダー、海外の試合で活躍。私、岩倉豪がブッカ―として熊澤にぶつけた強豪外国人には三角締めで負け、「初めてサブミッションで負けた」と帰りのバスで泣いていたのを覚えている。岡山の天下一スーパーファイトで判定負け、大坂のRISINGONでもパンチ一撃でKO負け、と散々打ちのめされながら戦っていた時代にも、壁にぶつかるたびに池田浩二先生の指導を受けていた。ボクシングを習う、キックを習うと言うたびに、空手をやりなさいと諭されていた熊澤は、2015年1月より本格的に池田先生から琉球空手の指導を受けるようになる。

 

〜劉衛流・池田浩二の空手歴〜

沖縄で多くの格闘家に慕われる若き達人こと池田浩二は、10代より沖縄空手(劉衛流)を学び、伝統派空手の競技空手では県大会、九州大会、全国大会、国体と活躍の場を広げ、九州の大学に進学すると、その名が徐々に知れ渡るようになる。その頃、正道会館九州大分支部でフルコンタクト空手を習い、卒業後に沖縄に戻って再度、沖縄空手の追究を始め現在に至る。

 

〜沖縄古流空手・劉衛流・池田理論〜

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熊澤は「池田浩二先生の指導を受けた選手たちは皆、短期間で強くなっていった。仕事やケガなどで練習がほとんどできていない選手たちが、現役の僕と互角のスパーリングができたり、練習試合で僕がやられることもあった」と話す。

私が池田先生の技術指導を受けて変化したことは、対戦相手の体が構えた方向を先端に三角錐の立体図形に見えるようになったこと。立体図形で相手を捉え、三角錐の頂点の側面から攻めれば横の部分が弱い。つまり三角錐の頂点を相手に向け続ければ強い。

三角錐の理論では、両肩を中心に両腕を重なるように組み、上から見ると船の先端のような構えを作る。その船の先端を中心に攻撃すると骨角上で強く、船の先端の横を見せると自分が骨格上で弱い。両手を組んで船の先端を作り、相手に自分の弱い部分である横を見せないようにして戦う。構えた手は内に対しては強く、外に対して弱い。相手を攻めるときに、船の先端の中心からずれて攻めれば、こちらは強く、相手は弱い。

この池田先生の理論は、ロシア軍隊発祥の現代科学技術であるシステマと同じフレームコントロール(骨格応用)だ。琉球空手の千年以上の歴史は、現代科学技術の骨格理論で説明できるが、理論を実戦レベルまで引き上げて実証するところが琉球空手の凄いところである。

通常はボクシング、キック、組み技でも、ある程度固定された構えから指導されるが、池田先生の理論ではその固定された考えを取り除くことから始まり、あらゆる動きが自由になる。現代格闘技を建築物で例えると、鉄筋とコンクリートで固める作業。池田理論は、木と木で自由に組み替える日本古来の建築物。

池田理論は身体操作を覚えさせることからはじまり、体の使い方を知り、人間の体を立体図形としたポジション取り、また膝、骨盤、足首、指先の方向まで教えもらう。

熊澤は月3回程度の指導を受け、結果として、グラップラーの動きを左右にスイッチして使えるようになった。また足の使い方を覚えたことにより、筋肉の力でなく骨格を利用した自重の力を使えるようになった。

池田兄弟の次男・池田浩二は、この古武術空手を習得し、それを現代格闘技に使えるようにアレンジして指導できる古流空手家だ。指導は多彩で自由。選手それぞれの個性を生かす指導方法であり、格闘技の枠にとらわれない理論である。池田浩二の理論は、中国の孫氏の兵法を空手に応用しているという。

『戦いの基本はだまし合い』→ 相手に万全な体勢を取らせるな

『敵を困らせろ』→ まともな勝負を仕掛けるな

『守備をくずせ』→ 正面から攻めるのではなく、様々な箇所から攻撃を予想させ、相手の守備力を削げ

『敵を知り、己を知る』→ そして今何をするべきか考える

『先手を打て』→ 先手の優位性を深く考えろ。考えを知らなければ対応もできない

『相手の腹の内を読め』→ 相手にも何らかの思惑があり、それを読んで利用する。または、その裏をかく

『相手が攻撃したくてもできないよう体勢を構築する』→ 出たとこ勝負はしない

実戦では常にこの意識を強く持たないといけない。格闘技だけでなく、この世の中を強く歩むために必要な知識だ。

劉衛流を学んだ熊澤の感覚が変化し、相手の打撃をもらわないようになった。距離の支配、打撃威力の向上、重心と重量の支配、最後にポジション取り。相手の立体図形の支配ができるようになったのだ。

 

〜劉衛流と現在の伝統空手の違い〜

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沖縄空手(琉球空手)にも色々な流派があり、その中でも劉衛流は有名である。空手の型だけでなく、実戦を想定した伝統派空手だ。現在の競技用のスポーツ空手は、オリンピック候補にも挙がっていて、空手の人口も国内だけでなく世界規模まで増えている。それだけ空手の武道精神と技術には魅力があるのだ。

今から20年以上前、伝統派空手にまだ古武術の名残りがあった時代に、池田兄弟は全日本空手道連盟(全空連)の全国大会や国体で活躍していた。その全空連の重量級優勝者が昨年RIZINでデビューしたが、ロシア人ファイターの前に敗北している。

現在行われている伝統派空手や全空連はスポーツ空手であり、ポイント制が重視され、より安全面を考慮したルールになっているが、これは競技人口を増やすために必要な施策である。その一方、デメリットとして、古武術空手の原点である殺人術の技が失われてしまった。

スポーツ空手のポイント制では、相手を倒すことではなく、ポイントを取るための動きに変化している。ポイント制のスポーツ空手は、現代格闘技のMMAやキックボクシングなどの倒す打撃競技とはかけ離れたものだ。空手の原点である倒す技術を見つめ直す必要がある。

 

〜空手の原点は一撃必殺〜

伝統派空手はグローブを着用しての寸止めが主流だが、30年以上前の伝統派空手にはグローブも寸止めも存在しなかった。まさに一撃必殺、そしてその古武術の名残りがある空手の技術は、総合やキックボクシングなどの倒す打撃競技に取り入れやすい。UFCで活躍しているリョート・マチダの流派もそうである。

伝統派空手にも2種類存在し、グローブをつけてのポイント制、寸止めのスポーツ空手が一つ。もう一つの顔面を本気で殴る古武術空手は、現在ではほとんど大会自体が存在しない。

道着を着て、グローブをはめ、一撃必殺の攻撃を打ち出す。まさに巌流島でこそ、沖縄古流空手・劉衛流の一撃必殺の真価が発揮されると思う。

「勝手に巌流島・琉球空手実戦編」は2回に分けてお送りしたい。次回は「勝手に巌流島・花澤大介VS池田浩二・琉球空手実戦編」と題してお話するつもりだが、今回はこのあたりで筆を置かせていただく。