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【第3回】私が「猪木ボンバイエ×巌流島」に巻き込まれ、極私的に感じたベスト5

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文◎宮田充(KNOCK OUTプロデューサー)

文◎宮田充(KNOCK OUTプロデューサー)

 

2022.12.28INOKI BOM-BA-YE×巌流島」両国国技館大会に運営メンバーとして参加して、これまで2回、いろんなことを書いてきましたが、早いもので、もう1月末。大会からちょうど1ヶ月ということで、ひとまず今回で最終回とさせていただきます。で、今さら細々したこと書いてもいや、けっこう忘れてきつつもあるのでここは「極私的・ベスト5」を発表させていただきます!

5位「両国国技館でリングコールした!

私は高校時代、全日本プロレスのリング屋のバイトをしていて、1985.3.9両国国技館、プロレスこけら落としの大会には末端メンバーとして参加。あのときはロード・ウォリアーズが初来日して、長州力とタッグ対決したブルーザー・ブロディがすっごく荒れていました。その後、全日本キックでリングアナになって、そこからパンクラスのリングアナも兼任し始めて、1994年、パンクラス初のビッグマッチ、船木誠勝vs鈴木みのる戦も両国でした。

そのあとも何回か経験したと思いますが、とにかく久々の両国は、音響もバツグンで最高でした。不思議だったのは、今回の木村フィリップミノルvs矢地祐介のコール前、ふと「あっ、あのときの船木vs鈴木みたいだな」って感じて、リングで武者震いしたこと。そして、この勝負の決着も、船木×鈴木と同様に極上のインパクトでした。

4位「柴田勝頼選手と知り合った!

思いっきりファンみたいなこと書いちゃいますが、会ってみて一発でファンになりました(ファンじゃん!)。今回、漫画家の森恒二先生から紹介いただいて柴田選手に初めて会って、その後も試合まで何度かやり取りさせてもらいました。武骨で男くさくって、そして熱い人でした。でも、ひとつだけ後悔アリ。過去に柴田選手が、一騎討ちを終えた天龍源一郎にビール瓶で頭をカチ割られたことがあって「アレは何だったんですか!?」と聞こうと思っていたけど、なんか怖くて聞けずじまい。もしNEXTがあったなら今度こそ…(もし聞いたら、ちょっと間を置いて「あ?」とか言われそうな気もしますが)

3位「巌流島ルールって面白い!

これはもう、ズバリ言って、今まで食わず嫌いですみませんでした! 今大会のあと自分なりに調べたら、今までもたくさんのインパクトの強い勝負があって、熱烈な巌流島ファンがたくさんいることも知りました。もし今後、谷川さんが本格的に「巌流島」を再開していくのなら、できる限り、自分も近くで関わらせてもらいたいなって思っています。

2位「谷川さんのマッチメークの流れを至近距離で目撃したこと!

これも、まさにそのまんまです。思い描いて作っていくこと、アクシデントが起きたときの考え方と対応、粘るところと粘らないところの見極め、くじけないタフな心と、その半面あっさりした心、その他いろいろ。今回、谷川さんのそばにいて感じたことは、きっと自分の心の中に入っていて、どこかでパワーを与えてくれることでしょう。

1位「アントニオ猪木さん」

あれは1980年の暮れのこと。当時、自分の親父が趣味で神輿担ぎの会に入っていて、その忘年会にプロレスラーが来る、充も会わせてやるって連れて行かれて。でも、その当時はプロレスより、プロ野球が好きだったんです。で、まあ神輿好きたちの忘年会だから威勢良く盛り上がって、酒臭いオッサンが「目元がお父さんソックリだ」とか言ってきたり、親父は親父でガンガン飲んでて帰る気配なし。店にガキ(当時12)は私だけ、マジ帰りたい、でも一人じゃ帰れない。そんな絶望の中、ドーンと現れたのが当時の国際プロレスのエース・ラッシャー木村選手でした。パンチパーマ、額ギザギザ、デカくって大仏みたい。で、親父に「写真、撮ってもらえ」って言われたけど、「絶対やだ、怖い」って思っていたら、ふわっと担ぎ上げられて膝の上、とても温かかった記憶が今でもあります。出来上がった写真を見たら、満面の笑みでピースする自分がいました。

サムネ

そして翌1981年、4月にタイガーマスクがデビューしたあたりから友達とプロレスを観に行くようになっていくなかで、木村選手が所属していた国際プロレスが倒産。10月に新日本プロレスのリングで木村選手はアントニオ猪木と一騎討ち。11月も再戦(これは観に行った)。その翌年も抗争は続いて木村・浜口・寺西vs猪木、いわゆる31マッチ。確か312回やったんだけど、どちらも一番安いチケットで観に行って、大・猪木コールの中、2階の一番上の鉄骨かなんかにしがみついて、声も出せずに木村選手が戦う姿を見つめていました。

だから、当時の自分にとって、アントニオ猪木はラッシャー木村選手の強大な敵。もちろんカッコいいし、サインも欲しい、写真も撮ってもらいたい、でもなんか怖くて近づけず。そのあと大人になって、引退した猪木さんの大会にリングアナやゴング叩きで参加したこともあったけど、そのときは仕事だし、ミーハーな小僧って思われたくないから、また近づけず。

そして今回、もうそこに猪木さんはいなかったけれど、自分史上、最も猪木さんに近づくことができたような気持ちになれたことが、一番ハッピーな出来事でした。

MAROOMS presents KNOCK OUT 2023 SUPER BOUT “BLAZE”
2023年3月5日(日)

https://knockoutkb.com/event/knock-out-2023-super-bout-blaze/

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