「何でもあり」から「何にもなし」になったMMA。では巌流島はどこへ向かうのか?
niconico動画の『巌流島チャンネル』でほぼ毎日更新していた「ブロマガ」が、オフィシャルサイトでパワーアップして帰ってきました。これまでの連載陣=谷川貞治、山田英司、ターザン山本、田中正志、山口日昇に加え、安西伸一、クマクマンボ、柴田和則、菊野克紀、平直行、大成敦、そして本当にたまに岩倉豪と、多種多様な方々に声をかけていく予定です。ぜひ、ご期待ください!
5月20日(金)のブロマガ………お題『巌流島・公開検証Final』に期待すること
巌流島・公開検証3は、各試合ごとに話し込みたくなる見所があって、かなり面白かった。主催者側としては反省すべきところもあったはずだけど、それも含めて、見ている者には論じたいことがあり、話がはずむ大会になった。
初期のUFCの第2回、3回大会がこんな感じだった。個性的な選手たち、想像を超えた試合展開、思いもかけぬ結果…。現地で見た者は、自分達が生で見たものは何だったのかを熱く、真剣に語り尽くした。
それがだんだん『何でもあり』の大会ルールに適合した技術体系がわかってきて、防御がわかってくると、まず膠着シーンが多くなり、それをなくすためのルールも整備されていく。そのうち、闘い方にいわば“教科書”ができてきて、その“教科書”通りにみなが闘うものだから、選手の誰もが没個性となり、似たような試合展開の繰り返しに…。
それはもはや『何でもあり』ではなく『何にもなし』じゃないか、と愚痴のひとつも言いたくなる。武器なしの1対1の他流試合の終着点は、単なる一つの競技に落ち着いてしまった。
でも巌流島の実行委員会には、そういった退屈なことにならないよう、知恵を絞っていきたいという“志”があるように感じる。お祭りを目指しているのか、神事を目指しているのか、競技化を目指しているのか。主旨はなんだかわからないけど、師範も創始者もいないのだから、武道の大会にはなり得ても、巌流島自体が武道にはなり得ない気がする。
ここで今書いていることも、今後の公開検証を見て行くうちに考えが変わるかもしれないけれど、巌流島が目指しているものを端的に言うと、ブラジリアン柔術家を排除して誰が強いのか決めようという、グレイシー嫌いの匂いをプンプン感じるのだ。
ボクシングはグローブをした拳の打撃のみで強さを競うもの、K-1はそれに足とヒザでの蹴りを有効としたもの、UFCは “武器を持たない”という条件で最も何でもありに近い状態で強さを競う競技。では、巌流島とは何か?
巌流島ルールはいわば『パウンドOKの相撲・プラス・シュートボクシング』で、そこではグラップリングを駆使した美しいグラウンドのサブミッションの攻防は、排除されてしまっている。その攻防に価値を見いだせず、逃げ出すように作られたのが巌流島ルールだとしたら、グラップリングの攻防に魅せられてきた者としては、心にポッカリと穴のあいたようなルールだと、天を仰がざるを得ない。でも、この巌流島ルールでなら光れる選手も必ずいるはずなのだ。
個性が違う選手が集ってこそ、他流試合は面白い。1冊の教科書だけで技術が語れる大会ではなく、各格闘技の一流選手、様々な武術オタクの選手、各国の謎の競技を背負ったファイター、達人の皆々様に出場していただいて、このルールにおける自分の強さを満天下に証明していただければ幸いである。