「世紀の凡戦」ではなく、「世紀の大博打!」だったからこそ、猪木vsアリ戦は神話となった!
niconico動画の『巌流島チャンネル』でほぼ毎日更新していた「ブロマガ」が、オフィシャルサイトでパワーアップして帰ってきました。これまでの連載陣=谷川貞治、山田英司、ターザン山本、田中正志、山口日昇に加え、安西伸一、クマクマンボ、柴田和則、菊野克紀、平直行、大成敦、そして本当にたまに岩倉豪と、多種多様な方々に声をかけていく予定です。ぜひ、ご期待ください!
6月15日(水)のブロマガ………お題「40年前の猪木 vs アリ戦を見て、異種格闘技戦を考える!」
猪木vsアリ戦が行われた1976年、僕は中学3年生。ちょうど試合当日、東京に修学旅行で来ていて、バスが会場の日本武道館の横をたまたま通り過ぎたこともあって「見に行きたい! 先生、降ろして〜」と何人かで騒いだ記憶がある。ここに本当に猪木とアリがいて、試合をやっているんだということに、田舎者の中学生はやたらと興奮した。
試合は衛星中継もあって、昼間に行われていた。その夜、ゴールデンタイムで再放送。食事の後、先生も一緒になって男子生徒のほとんどが食堂で観戦。さながら街頭テレビのように見ていたのだが、試合が進むにつれて、「つまんねぇな」「八百長じゃないか」という声が高まり、かくいう僕も「猪木は何やってるだ!?」と思ったのが、素直な感想である。翌日の新聞はほとんどが「世紀の凡戦」と書き立て、NHKでさえ冷ややかに酷評した。
とにかく連日この猪木vsアリ戦はワイドショーのトップを飾っていたのだが、僕も中学生だったし、40年も経っているので、試合の記憶はほとんどない。その猪木vsアリ戦をアリの死去というタイミングで、日曜のゴールデンタイムで放送したテレビ朝日の英断には、心から拍手を送りたい。
40年という月日が経って、僕も散々プロレスや格闘技の試合を見てきた中で、この「異種格闘技戦の原点」と呼ばれる試合がどう見えるのか? 何せ、中学生の頃は猪木の異種格闘技戦シリーズは、アリ戦のみ八百長試合で、あとは真剣勝負と思っていた程度。しかし、それが後にアリ戦のみが真剣勝負で、あとはプロレスの試合だったと真逆の真相を聞かされた時は、かなりショックだった。その程度のプロレス少年だったのだ。でも、この試合は実を言うと今の60代〜80代が一番直撃で見ていた世代で、40代以下はほとんど初めて見る人ばかり。プロレスの価値観も変わり、K-1やMMAが出てきて、格闘技に対する知識も見方もまるで40年前とは違う。強さの測定も徹底的に進化してきた現代において、この猪木vsアリ戦の世間の反応、僕自身どう見えるのかはとても興味深かった。
以下、テレビを見ながらの、僕のつぶやき………。僕はこの試合を二つの視点で見ていた。
1.プロデューサーとしての視点
僕は格闘技のプロデューサーでもあるので、まずプロデューサー目線でどうしても見てしまう。猪木陣営がどうやって、あの世界的なスーパースターのアリをリングに引っ張り出したのか?
その経緯はこれまで何度か記事で読んだことがあるが、それを思い出しながら見ていた。僕はかつて、マイク・タイソンをK-1のリングにあげようとしたが、その時のオファーは「ボクシング・ルール」だった。そのボクシング・ルールで、タイソンは契約書にサインまでしたのだが、それでも実現はしなかった。恐らくアリが猪木さんと闘う気持ちになったのは、それが「プロレス」のリングだったからだろう。アリは大のプロレス・ファンだったとも聞く。それにしても、相当デタラメな交渉だったんだと思う。そうじゃなかったら、アリが日本のプロレスのリングに上がるわけがない。お金はいくらかかったんだろう? どういう方法でビジネスのスキームを考えていたのか? それでお金はいくら回収できたんだろう? たとえアリに本当に20億払ったとしても、今だったら絶対に回収できる。そんなことを考えながら見ていた。
また、記憶に残るお互いの舌戦やパフォーマンス、アリと猪木さんのカリスマとしての輝き、表現力はただただ眩しいばかりだった。こんなファイターは世界中探してもどこにもいない。いや僕の格闘技人生の中でも、誰も超えられていない。こんなファイターと同時代に生きた新間寿や梶原一騎が、本当に羨ましく思った。特に驚いたのはアリ。試合前もそうだが、試合中でさえ、アリは猪木さんというより、お客さんと闘っていた。記者会見や試合中に相手を罵る選手は格闘技でもいるが、それが客と闘う一つの方法論であることを認識している選手は意外と少ない。だから、チンピラの喧嘩にしか見えないのだ。
2.格闘技としての視点
ここでは詳しく述べないが、猪木vsアリ戦ほど後世でいろいろ語られるミステリーはない。恐らく関わった当事者でさえ、あの試合は何だったのか? 正確に理解している人は少ないだろう。今回のテレ朝での特番でも、ストーリーは「アリがプロレスの試合としてやって来た→しかし、猪木さんが真剣勝負を持ちかけてきたので驚いた→アリはやめることも選択肢にあったが、ルールでがんじがらめにすることで試合をする決意をした→猪木は手足を繋がれた状態で試合せざるをえなかった→それが世紀の凡戦と言われた猪木vsアリ戦の真相→しかし、アリは猪木の奇策で足を血栓症になるほど痛みつけられ、その後のボクシング人生に大きな影響を与えた」になっていた。
しかし、これはアリ・サイドの言い分とは全く違っていたり、その後、日本でも数年単位で新説が飛び出したりしていてよく分からない。では、一体どんな試合だったのか? そして、どんな試合になってしまったのか? にとても注目していた。僕には、どういう風に見えるのだろうか? 僕がはっきり言えるのは、これはアリが求めた「リハーサル」のある試合ではないこと。じゃあ、なぜ猪木さんはああいう闘い方をしたのか? もう少し違う闘い方があったのか? あえてしなかったのか? ルールでできなかったのか? そんなことを思いながら見ていた。
しかし、今回テレビで観る前も、テレビで観たあとも、この試合の最終ルールが何だったのかがよく分からない。一説には、最終的には口約束で、そんなものは書面としてないという話もある。だから、見るものによって、ルールがマチマチ。そもそも猪木vsアリ戦のルールは「後付け」で作られたという話もある。このルールが分からないところも、猪木vsアリ戦にヤオガチ論が永遠に出る理由だろう。それらのグレーな部分を含めて、試合はとても緊張感があり、面白かった。
主にそんな視点で、僕は久しぶりに食い入るように格闘技の試合を見てしまったのだが、この複雑さは本当に面白い! いや、しかもこの複雑な物語は、意図的に緻密に計算されたものではなく、行き当たりバッタリで天然のまま、そういう状況に猪木さんも、アリも追い詰められていったんだろう。つまり、この試合を一言で言うと、試合成立から結末まで「大博打!」の興行なのだ。それを見事に成立させたことが、猪木さんも、アリも一番評価しなければならないところだと思う。良い意味でのデタラメさがあり、大博打だったからこそ、猪木vsアリ戦は後世に語り継がれるほど面白いものになったのだ。
今の時代、コンプライアンス重視のテレビ局、スポンサー、プロモーターに欠けているのは、このギャンブル的な仕掛け。大博打だ。恐らく、今のテレビ局に猪木vsアリ戦みたいな興行を提案しても、資金を肩代わりしてくれたり、先払いに応じてくれることはない。それが本当にプロレスなのか? 真剣勝負なのか? アリと猪木の契約はどうなっていて、ルールはどういうものなのか? それらをきちんとプレゼンし、社内りん議を通して、やっとの思いで実現するのが当たり前。今の時代は、そういう手堅いエンターテイメントでないとまず成立しない。そんな時代背景に決定的な違いを感じたのだった。
興行の醍醐味というのは、この「大博打!」なところにある。「大博打!」には、途中の失敗や挫折はつきもの。しかし、そこを乗り越えてこそ、後世に残るものが見せられる。でも、今の時代、日本でそれは無理なのかなと思う。そこが、僕らが絶対に猪木さんたちの世代を越えられない大きな壁。それが、僕の猪木vsアリ戦を見た一番の感想である。
僕らが憧れた猪木さんたちの時代は、マスコミも、プロモーターも、ファイターもキ○チガイばかりだったもんなぁ。今はお利口さんの時代。その中で、巌流島はどういうイベントをやっていくのか? そんなことを考えさせられたのだった。