GANRYUJIMA BLOG巌流島ブログ

リオ五輪のテレビ報道を見て、考えたこと。

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9月5日(月)のブロマガ………お題「日本人とオリンピック」

文◎安西伸一(フリーライター)

文◎安西伸一(フリーライター)

 

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日本柔道男子の活躍は目覚ましかった。テレビでの報道によると、これまでの「柔道だけやっていればいい」「柔道で使える筋肉は畳の上でしか養えない」「根性論」という風潮を捨てた井上康生監督の英断が、選手の対応力を上げたという。

ブラジリアン柔術と共に世界に総合格闘技が広がってから、オリンピック柔道を見ていると、外国人選手はレスリングのタックルに似たテクニックを使ったり、それを仕掛けられた選手が嫌がるように大きく腰をひいたり、投げて一本を狙う柔道とは違う考えで柔道をしていたように感じる。

そういう技術にも対応できなければ、ただ柔道だけやっていても日本人選手が勝てなくなるのは当然だと思うのだが、今回、井上監督は、ブラジリアン柔術、サンボ、沖縄相撲に加え、筋トレも選手に課していたそうだ。僕に言わせればもっともな話で、なぜこのように柔軟な考えが出来る人がどんどんおもてに出てこなかったのか不思議だ。

井上監督が格闘技オタクなのかどうかはわからないが、他の組み技格闘技の道場への出稽古にあたる練習、体験は、絶対に必要なんだと井上監督は考えていたのだろう。

個人競技である格闘技は当然、セコンドのアドバイスだけでなく、自分の頭で考えて闘うことも重要になる。例えばの話になるが、相撲の稽古で指導する立場の人が「ほら押せ」「前に出ろ」「ほら行け」「がむしゃらに行かんかい!」という感じの指導だけしかしないようでは、話にならない。基本的な組み合いの形だけでなく、こういう形になったら自分は何をするべきか、この体勢からどんな動きが有効なのかなど、自分でも考えて、さらに指導を受け、あらゆる体勢になった時、自然に反応できるようになる格闘技センスを磨くことが、勝つためには重要になってくるのではないだろうか。

2014年より国際柔道は、基本的に最初から足取り狙いで下半身に手を掛けることが反則負けとなり、ほかにもルールが改正され、一本勝ちを狙うべきルールとなったのは、見ている側の観客にも楽しめるルールを、という意図も多分にあったようだが、外国人選手が他の組み技格闘技のエッセンスを取り入れていく流れは、もう止められない。世界の流れに柔軟に対応しようとした井上監督の挑戦が、功を奏したとしか思えないのだ。

また、以前、坂口征二さんに聞いたら、「俺らの時代は柔道では投げの練習がほとんど。寝技の練習なんてほとんどしなかった」と言っていたが、最近はそんなことはないそうだ。

現在、国内のサンボの大会には、1軍は来ないが2軍、3軍の大学柔道の選手も出場してくるので当然、相互の選手に技術交流はある。高校柔道の選手がサンボの練習にくるケースもある。

テレビでは、密着しての組み合いからの投げ方を学ぶのに、沖縄相撲が役に立ったという報道は見たが、柔術やサンボの練習が具体的にどう役にたったのか、どの試合のどの場面でその効果が発揮されたか、という、組み技オタクを満足させてくれる報道はなかった。

結局「勝って嬉しい」「負けて悔しい」というたぐいの選手の感情と、日本人選手の出る注目競技の試合と、何色のメダルを取ったかしか、力を入れて報道してくれなかったように感じる。

レスリングの吉田紗保里選手については、吉田が負けたことばかり、繰り返し報道されたが、競技の世界なんだから、本当はもっと勝者のアメリカ人選手、ヘレン・マルーリスにも日本人の注目が集まってよかったのではないか。「研究すればするほど、彼女のことが好きになりました。彼女と闘うことは夢だったので、敵ではなかったんです。神様は本当にそれを私に教えてくれました」というマルーリスの試合後の言葉が、吉田のコメントと同じくらい、なぜ広がらないのだろう。

なぜ吉田は負けたのか。吉田はどう研究されていて、相手のどこが上回っていたのか。須藤元気さんが「研究されていましたね」とコメントしている番組は見たが、そこまで番組側に求められてはいなかったのだろう、深い技術論は話してはくれなかった。瞬発力やスタミナという、年齢が左右すること以外の、技術的な深い解説をテレビでやってほしかった。

普通の日本人は、誰もそんなこと思ってないのだろうか。こんなことを思っているのは、僕だけなのかなあ。