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「菊野選手が勝った相手は小見川選手だけではなかった!」。空手対柔道戦のもう一つの見方

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10月30日(日)のブロマガ………お題「10.21 巌流島・全アジア武術選手権大会の感想」

文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)

文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)

巌流島全アジア武術選手権大会は、決勝の菊野選手と小見川選手の空手対柔道の名勝負が見られたことで、今大会を格闘技ファンの記憶に残る歴史的な大会にした。

その試合のポイントは、柔道と空手が共に持ち味を発揮した上で、結果的に空手が勝利したことだ。むろん、勝負の結果を左右するのは、選手個人の強さの問題だが、重要なのは闘いの場の環境である。菊野選手と小見川選手の闘いの模様や技術的考察は、他の人が書くだろうから、ここでは闘いの裏に隠れた重要なコンセプトにスポットを当てていこう。

これまで、総合ルールで空手を始めとする打撃格闘技の選手が、柔道や柔術などの選手と闘い、勝利することは極めて困難だった。

総合でも様々なルールがあるが、ブラジルで行われていたバーリ・トゥードのように時間無制限などのルールでは、打撃側はほぼ100パーセント勝ち目はない。必ずいつか倒され、寝技に持ち込まれるからだ。このバーリ・トゥード・ルールは、グレイシー柔術が空手などの打撃に確実に勝ち、売り出すために作られたルールである。初期のアルティメットもバーリ・トゥードの延長ルールであり、そこから発展したMMAも、本質的には寝技有利は動かない。

しかし、本来実戦を目的にした世界中の伝統武術にはことごとく寝技がない。寝技の本家と思われている日本の柔道でも、寝技が発達したのは高専柔道からだし、レスリングのフリースタイルも近年アメリカで生まれたもので、何れも伝統の技術とは言い難い。伝統の武術が想定する実戦像とMMAが見せる実戦像とは乖離があるのだが、総合全盛時にそのような主張をしてもなかなか一般の人には理解されないものだ。

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ちなみになぜ、実戦を想定した伝統武術に寝技がないのかと言えば、合戦でも町の喧嘩でも寝技が有効な局面が極めて稀であるからだ。横山雅始先生のガチ甲冑合戦の例を挙げるまでもなく、複数の相手や武器を持った相手に対し、自分から寝技を仕掛けることは自殺行為となる。

では、素手の闘いにおいて、寝技を使わずに、伝統の武術家達はどのようにして敵と闘ったのか?   格闘技との一番の技術的相違点を挙げるなら、それは環境の利用である。

この概念を最初に理論化したのは喧嘩術の林悦道先生である。護身や喧嘩の闘いの場は試合場ではなく、街中や家の中だ。不確実な打撃に頼るのではなく、相手の背後の壁に頭をぶつける。壁がなければ、地面に叩きつける。街中や部屋の中に必ずある縦と横を有効利用するのである。

これに対し、格闘技では環境の利用は原則的に反則となる。できるだけフィジカルな勝負で優劣をつけようというのが格闘技の発想であり、これはこれでスポーツとしては筋が通っている。

しかし、世界で唯一、環境の縦と横の有効利用をルール化した格闘技がある。それが日本の「大相撲」である。土俵から押し出せば勝ちというのは、背後が壁であったり、危険なスペースであれば、縦の環境の武器化であり、土俵に投げるのは、地面という横の環境を武器化したとみなすことができる。そのために技術を特化しているのだから、実戦の場では相撲ほど有効な武術はないかもしれない。日本人が古来から合理的な実戦観を持っていたと言う証でもある。

日本人が古来から育んできた環境の武器化。これを導入したことが、巌流島と従来のMMAとを決定的に差別化することとなった。

小見川選手が、場外近くで菊野選手を巴投げで場外へ放り投げた時、この技の持つ恐ろしさが誰の目にも明らかになった。「もし、あそこが崖だったらそのまま死んでました」と投げられた菊野選手本人が語っていたように、あの試合場には縦の環境が存在していた。

また、普段縦の環境を自覚することがなかったであろうムエタイのクンタップ選手も、土俵際では相撲をとり、うっちゃりさえ見せた。巌流島のルールが選手に浸透してくるに連れ、徐々に選手自身が環境の中で闘うことを意識し始めた。

その意識の芽生えこそ、実はMMAから伝統武術の実戦観へのコペルニクス的転回となる。決勝に進んだ菊野、小見川両選手は、最も早くからその武術的視点を持ち、研鑽を積んだのではないか。その成果は両者の構えやステップ、そして戦術にも充分反映されていた。

環境を視点に入れた武術に求められる動きとは具体的にどのようなものか?  一般の人にもわかりやすく主なポイントだけ抽出してみる。

1. 長、中距離の打撃技術

離れた間合いでの攻防技術。相撲では突っ張りなどの局面。打撃格闘技は主としてこの間合いを土壌として成り立っている。

2. 接近距離での組み合いの技術

相手の衣服や身体に接触し、投げたり、打撃を入れたりする。柔道や相撲の投げ、ムエタイの首相撲などの技術。

3. グラウンド技術

いわゆる寝技の関節技やパウンドも入るが、主としては寝技を脱し、立ち上がるための技術だ。

以上の三つが打、投、極という、これまでの総合の間合いによる技術の分類だが、武術はここに4番目の要素が入る。

4. 押す技術と倒す技術。

環境の縦と横を利用するのだから当然だ。この中には当然、押されない技術と倒されない技術も入る。

実は4番目の要素は間合いで分類できない。言ってみれば質的な変化だ。遠い間合いでも蹴りは押すように変化したり、パンチも押すような技術が出てくる。ボクシング的なインパクトを重視する打撃より、伝統武術の打撃はしばしばプッシュ気味な打撃の動きが出てくる。喧嘩術の蹴りや掌底も押し飛ばしがメインとなるため、打撃の専門家からは、下手な蹴りと見られがちなのはそのためだ。

このような状況下では、構えや重心の置き方、ステップが、当然これまでの打撃格闘技とは変化してくる。古伝の武術をやってる人間からしたら、基本に近づいていくことになる。競技の中では失われていた空手や柔道のすり足も、環境を利用するルールの中では甦って来ざるを得ない。

菊野、小見川両選手はこのような武術的視点をベースにした闘いを展開した。過去、これほどレベルの高い空手対柔道の戦いはなかったと見る者に思わせたのも頷けよう。

その上で、空手が柔道を制する、という結果を出したことは、菊野選手の勝利は、単に小見川選手を制したということよりもっと大きな意味を持つ。MMAが生み出した実戦空間では不可能であった空手の実戦性の証明が、伝統武術の視点を取り入れた実戦空間では可能となる。

その事を一般に知らしめたならば、菊野選手は小見川選手だけでなく、MMA幻想をも打ち砕いたこととなる。

その勝利の歴史的意味は重い!