GANRYUJIMA BLOG巌流島ブログ

日・泰・蒙・露・緬・伯・伊・以。世界民族の格闘技に“美学”はあるか?

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niconico動画の『巌流島チャンネル』でほぼ毎日更新していた「ブロマガ」が、オフィシャルサイトでパワーアップして帰ってきました。これまでの連載陣=谷川貞治、山田英司、ターザン山本、田中正志、山口日昇に加え、安西伸一、クマクマンボ、柴田和則、菊野克紀、平直行、大成敦、そして本当にたまに岩倉豪と、多種多様な方々に声をかけていく予定です。ぜひ、ご期待ください!

6月2日(木)のブロマガ………お題「7・31巌流島で楽しみにしている試合」

文◎柴田和則(巌流島・事務局 海外選手ブッキング担当)

文◎柴田和則(巌流島・事務局 海外選手ブッキング担当)

 

先日、柔道経験者が女性アイドルを襲い、ナイフで何度も刺すという、むごたらしい事件が起きた。このことで改めて、武道における“美学”とは何かを考えさせられた。

武道における美学が血肉レベルで心身に染みついている人間であれば、美とは対極に位置するこのような“醜悪”な行為には、とても及べないのではないか。美の意識がこんな醜い行為への歯止めになるはずではないか。そう考えるのはあまりに性善説的であり、理想論的だろうか。

ターザン山本氏にいわせれば、「日本人は規則よりも恥や汚れという“美意識”を上位概念に持った民族」(大武道! Vol.1参照)だということになる。

美意識を規則やルール以上に優先し、人生を歩んでいくのが日本人だというのだ。

それでは格闘技界ではどうだろうか。世界各地の民族が創造した格闘技には“美意識”や“美学”はあるのか。7.31巌流島では、各民族のバックボーンを背負う戦士たちの闘いに美を見たい。「そこに“美”はあるのかい?」と問いたいのだ。

日本武道を背負って巌流島に初参戦する菊野克紀選手には、それこそ武道ならではの美によって、観る者を魅了してほしい。通常のMMAの試合と違い、勝てばそれでいいというわけでもない。巌流島ではそれ以上の何かが求められる。生き様や死に様、信念といったものが。その意味では巌流島は、実は世界一高いハードルを求められる場だといえる。

同じく武道を背負ってロシアから参戦する空道世界王者エブゲニー・シャロマエフにも、北の地を経由して日本に再上陸する武道の哲学を見せてほしい。

本文写真

3.25TDC大会で暴走ファイトを展開した星風にとっての闘いとは何であろうか。モンゴル騎馬民族にとっての美徳は、何をしてでも勝つということなのか。あるいは元十両である星風には、大相撲の美意識は継承されているのか。今度のシャロマエフ戦でじっくり検証させていただく。

微笑みの国タイの伝統武術ムエタイはどうか。ミャンマーの過激格闘技ラウェイはどうか。東南アジア格闘技の真髄とは何か。

南米ブラジルで命をかけた武術から華麗な舞踊へと発展したカポエイラには、日本武道に通ずる美意識があるのではないか。

イタリアはダンディズムの国。男の美学をイメージさせる国だ。喧嘩フットボール代表のミシェル・ヴェルギネリは、どんな闘う男の姿を披露するだろうか。

日本と中国の武術を融合させた瀬戸信介には、東洋の哲学とは何かを体現してほしい。

第二次大戦後に成立した近代国家イスラエルで生まれた戦闘術クラヴマガに美の概念はあるだろうか。周辺国との争いによる必要性から誕生したクラヴマガは、サムライの国・日本の戦闘術である「武道」を積極的に取り入れ、学ぶことによってできたものだという。その文化伝播には戦闘の技術のみでなく、日本人が生み出した美の意識も継承されているだろうか。前回参戦したクラヴマガ戦士ジャッキー・ゴーシュの所作に武道的な、そして日本人的なものが自然な形で感じ取れたのは偶然であったのか。今回参戦するナタネル・パリシの闘いにも注目したい。

7.31巌流島では、アメリカ等の格闘技団体の世界観では知ることのできない「人間が闘うことの意味」「人間が生きることの意味」「人間の存在価値」までが提示される世界最高峰の“武道・格闘技”が見たい。

今後、巌流島では選手に美しい闘いを促すためのルール調整も必要になるだろう。しかし、本来であれば、選手たちにはルールによる強制などなくとも、美しく闘う姿勢を見せる人間力を示してほしいのだ。

そして我々、観る側はこれらの闘いに美を見つけ、美を感じたい。さもなければ、人はただのケダモノに成り下がる。